水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

バレンタインはどうすればハロウィンに勝てるのか

とても古い話で恐縮ですが1982年に「E.T.」という映画が公開されまして、大ヒットに釣られて私もノコノコ見に行き、ノコノコ感動してすっかりスピルバーグ氏の思う壺だったのですが、この映画の中でデリバリーピザとハロウィンのシーンがありました。多くの日本人がこの二つを印象に残したのではないかと思います。

デリバリーピザとハロウィン

デリバリーピザの方は、E.T.後すみやかに日本進出を果たします。1985年にドミノ・ピザ事業開始した時、私は「この会社の社長はE.T.を見て慌てて米国に事業提携に走ったのでは?」と憶測していました(本当のところどうなのかは知りませんが)。
他方、ハロウィンはなかなか日本にマッチしないようでした。デリバリーピザ屋が順調に定着したのに比べて、いまひとつマイナーなイベントのまま。せいぜい、ディズニーランドという隔離空間の中だけで無理矢理盛り上がっているような。
そのハロウィンが一躍人気者になってきています。ここ10年、というか5-6年でしょうか、急激に主役級へとのし上がってきています。長い間端役だったのに何が変わったのか? 最近10年以内と、その前の20年。何が違うのかと言われれば、それはSNSがあるかないかの違いでしょう。

インスタジェニックな

ハロウィンのコスプレ&パーリィでみんなでウェーイな盛り上がりは、「リア充」をアピールするのに絶好。InstagramFacebook におしゃれな写真をアップしたい勢力が、「いいね」を獲得する強力なエンジンとしてハロウィンに殺到しているように思えます。
一方で、ハロウィンなんてどこで流行っているの?な人がいるのは、その人たちが「いいね」無縁族で、「いいね」欲しい族との間にマリアナ海溝があるのでしょう。
少し前に盛り上がった「女子会」。あれも素敵な料理を仲良しグループで囲んでピースして写真アップ、がインスタジェニック(Instagram上で見映えがイイ)で成長しましたが、そこから更にテンション上げたハイパー・リア充なイベントと言えます。

日本記念日協会・記念日文化研究所によると、2015年のハロウィンの市場規模(推計)は前年比11%増の約1220億円。14年のバレンタインデー市場(約1080億円)を上回り、11年の560億円からわずか4年で倍増した。

http://www.j-cast.com/2015/10/25248645.html

我が国において半世紀からの歴史を持つバレンタイン先輩。ここにきて一気に抜かれてしまいました。後輩が選抜メンバーになるのを見送る、AKB古参メンバーのような哀愁が背中に漂っています。バレンタインの市場規模をさらに拡大させるには、どうすればいいでしょうか? それは、いかにインスタジェニック度を上げられるかにかかっています。

日本版バレンタインの元祖は、お菓子メーカーが仕掛けた「女性が意中の男性に告白する日」ですが、真剣な告白する人だけでは母数が小さすぎて市場が弱いです。告白型からいくつか派生型を生みますが「上司に渡す義理チョコ」は反Instagramの極致ですし、「自分チョコ」も地味すぎます。いつも仕事がんばっている自分を褒めてあげるために、今日だけは高級なチョコを買って、一人ひっそりワンルームマンションで食べる女性の姿は非リア充です。いちばんマシな「友チョコ」。仲良しグループがスイーツ持ち寄ってキャッキャうふふな感じ。でもそれも、普段からディナーやスイーツの写真撮ってアップしている日常と差異がなく、年に一度のスペシャルナイト感がありません。
ここは、バレタインの定義を新設するしかありません。

バレンタインの新しい定義

イベントの定義を変える。そんな事例を見てみます。

割と最近では、「豆をまく日」と長年定義されてきた節分を、どこかの誰かが「実は巻き寿司を食べる日でもあるのですよ。知らなかったの?」などと言いだし、それも「一人一本ずつ食べる」と大量販売する気マンマンな主張をして、そこそこ成功しています。

クリスマスイブ、という事例もあります。終戦後のしばらく、クリスマスイブは深夜まで酒を飲んでバカ騒ぎする日だった時期があります。こんな感じで

昭和23(1948)年、東京の繁華街は人であふれ、ダンスホールはオールナイトでインフレ紳士と淑女たちが踊り狂う「狂乱クリスマス」が出現した。(中略)戦争から解放された安堵感と貧しさや将来への不安などがないまぜになったどんちゃん騒ぎであった。この真夜中の人出は、東京でも戦後はじめてのことで、関係警察署は夜通しの警戒を行った。
(中略)
昭和29(1954)年のイブの東京の盛り場は、170万人(銀座90万人、新宿40万人、浅草30万人、渋谷10万人)という記録的な人出となった。交番は酔っぱらいの世話でてんてこまいし、都内の交通事故や救急車の出動も記録的な数となった。
「クリスマス―どうやって日本に定着したか」より

しかし、バカ騒ぎデーは短命で、その後クリスマスイブは家庭に入っていきます。小さなツリーに色付き豆電球の飾り、翌朝目が覚めると枕元にプレゼント、という高度成長で増加した核家族向きのイベントになりました。不二家のショートケーキや、少し後になってケンタッキーフライドチキンが巧くこの波に乗っていました。
やがて80年代に、次の大波がやってきます。堀井憲一郎氏が唱える「クリスマス・ファシズム」です。1983年12月の「an・an」で「クリスマス特集 今年こそ彼のハートをつかまえる!」という特集が組まれました。堀井氏によれば、これ以前の雑誌を調べても「クリスマスは恋人と」という記事はわずかしか見つからない。が、an・an以降、年を追って「恋人と」特集が増えていく。女性誌だけでなく少し遅れて男性側の「ポパイ」や「ホットドッグプレス」でも、クリスマスまでに恋人を作り、その一夜をロマンティックに過ごす、という情報が脅迫観念のように若者に流し込まれた、と。フランス料理とティファニーとシティホテルの予約、の時代です。
もっとも、an・anより一足早く、1980年発売のアルバム「SURF&SNOW」で「恋人はサンタクロース」と松任谷由実氏が歌っているので、流れはその頃からあったとは思いますが。
バカ騒ぎ、家族の祝福、恋人たちの記念日。では、バレンタインデーをどう定義するか?です。

ルペルカリア祭

wikipediaによれば、バレンタインデーとはバレンタイン司祭の殉教日で、なぜ2月14日が殉教日なのかと言えば、その日が女神ユノの祝日であり、かつ翌日からがルペルカリア祭だから、とあります。で、ルペルカリア祭とはなんぞや?というと下記の通り

当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。wikipedia:バレンタインデー

これ! 実にパーリィっぽいじゃないですか。そもそも「祭り」だし、リア充じゃないですか。このルペルカリア祭の由来を激しくねじ曲げ、ねつ造して都合よく使いましょう。
バレンタインデーは「チョコ渡す日」なんていう地味な日じゃない、年に一度の最高のパーリィデーだと宣言するのです(電通あたりが)。素敵な男女がおしゃれな服を着て、おしゃれな場所に集まる日。それだけでなく、パーリィの最中に誰かが告白して、その場でカップルが誕生するかもしれない日。さらにさらに!大勢の素敵な仲間たちに囲まれて公開プロポーズが行われる日。そんなインスタジェニックで特別な日。
twitterに #バレンタイン告白成功 とか #バレタインプロポーズ といったハッシュタグが咲き乱れ、ゼクシィで「今年こそ絶対!、彼にバレンタインプロポーズさせる方法」とか特集が組まれる日。これならハロウィンに対抗できるのでは?

デリバリーピザとハロウィン・再論

ハロウィンより先に出世していたデリバリーピザは今、どうしているでしょう。日本のピザ市場規模は約2600億円。でもこれは冷凍食品なども含めた金額で、このうち「宅配・ピザ専門店」は約1400億円だそうです。
むむ、これはマズイ。4年で倍増して今年1220億円、という勢いを見ると、バレンタイン先輩に続きデリバリーピザ先輩も追い落とされそうです。
デリバリーピザ市場をのばす方法はあるでしょうか? 私は当初「ドローンで配達してコスト・価格を下げる」と考えていましたが、これはあまりインスタジェニックではありません。と悩んでいたら、偶然、佐々木俊尚氏のキュレートでこんな記事を見ました。

大手ピザチェーンのドミノ・ピザが、実に4年の歳月をかけて開発した“配達車”が公開されましたのでご紹介します。こちらが、最新鋭の配達車、その名も“Domino's DXP”。
Chevrolet Sparkに改造を加えたもので、運転席の後部にはオーブンを搭載し、その他ピザ80枚、サイドディッシュ、飲み物2リットル、ソース用の収納スペースがあるとか。

http://adgang.jp/2015/10/110711.html


これで、おしゃれなパーリィにはピザ窯ビークルが必須アイテム。熱々の出来立てピザで盛り上がろう!とかプロモートしたら、市場は伸びる、でしょうか?