水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

グリー・モバゲーに学ぶ、正しい課金のありかた

ゲーム専門誌エンターブレイン(東京・千代田)の調べによると、ネットを経由してコンテンツを提供・課金するゲームの国内市場は、2010年に 3202億円と前年より37%拡大。店頭で販売する家庭用パッケージソフト(3180億円)を初めて上回った。
ネットゲームで伸びが大きいのが、交流サイト(SNS)が携帯電話やスマートフォン(高機能携帯電話)に提供する「ソーシャルゲーム」だ。ディー・エヌ・エー(DeNA)の会員数は3月末で2700万人と1年前の1.5倍に拡大。グリーも4割近く増えた。

(元記事は日経らしいのですがリンクできません。)

すごいですよね。一本4000円〜8000円もするFFやモンハンやポケモンの総売上よりも、無料のはずの怪盗ナントカや釣りゲームの売上金額の方が大きいなんて。任天堂の岩田社長が「無料ゲームは業界を滅ぼす」と言ったとか言わないとか(任天堂は発言を否定)
とはいえ、現実に起きている事を「おかしい」と拒絶しても勝ち目はなく、AKB商法が正義であるのと同様、グリーやモバゲーの課金方法(以下、グリゲー商法と呼びます)の何が強力なのか考えてみます。

考えてみます、と言ったものの、要は「参加コストゼロ」という敷居の低さと、「料金は払いたい人だけが払えばいい」という「選択的後払い構造」に尽きる気がします。
例えば任天堂は、DSの「脳トレ」やWiiの「Wii Fit」などで従来ゲームをしない人にまでマーケットを広げたと言われています。が、これらのゲームをするには、最初に15000円(DS発売開始当時)、25000円(Wii発売開始当時)といった相当額を払って機械を買う必要があり、ソフト代も別途数千円かかります。当然、それだけの強い期待価値を感じる人しか市場に参入しないため、人口1億2000万人の日本で、DSはたった3254万台(2011年3月達成)、Wiiはたった1000万台(2010年2月に突破)しか普及していません。対するグリゲー商法はケータイ・スマホを利用するので、ゲームをするために新たにハードを購入する必要はなく、2011年5月末の携帯電話契約台数=ゲーム機の普及台数は1億2000万台を超えています。*1圧倒的な差です。
国民のほとんど全員がゲーム機を既に所有していて、ソフト代も(最初は)無料なので、試しに参加する人口は膨大になります。なので、その内で金を払う人が一部でも、一人当たりの支払額が小額でも、「参加者全員が金を払うが、参加者数が圧倒的に少ないパッケージソフト市場」より売上が大きくなります。

MMD研究所という組織の調べでは、2010年夏の時点でグリー・モバゲーの課金ユーザーは全体の12〜14%程度、課金額のボリュームゾーンは300-500円ですが、それでも塵も積もれば3202億円になるのです。あぁ、フリーミアムの教科書のような話。

近い将来、このグリゲー商法がデフォルトになりそうなandそうなるべき業界の筆頭は、出版社ではないでしょうか?。
良く考えれば、まだ1ページも読んでいない、面白いかハズレかもわからない本の代金を先に全額払えと言うのはおかしな話です。本を売った時点で、出版社は印税・印刷製本・流通小売コストを回収し、買ってはみたがつまらなくて途中で読むのを止めた場合の無駄金リスクは全て読者(消費者)が負う仕組みです。何て無礼な。
同時に、この先払いシステムが本が売れない原因でもあります。金額だけの価値があるか分からない、つまらなかったら損をするというリスクが、消費者に本を買うのを躊躇わせているからです。無料なら本を読む人はずっと多いはず。
電子書籍のデータ販売は、第1章=無料、第2-4章=各50円、第5-7章=各100円、クライマックスの8-10章=各150円、とかになるべきでしょう。釣りゲームをやって面白いと思った人だけが有料の「釣り竿」(笑)を自発的に買うのと同様に、無料の第1章を読んで面白いと思った人だけが続きに対して金を払うのです。つまらないと感じて途中で購入を止めて数百円しか払わない人も出てきますが、面白いかどうか確認するために試しに無料の第1章を読んでみる人の数は(現在の先払い方式に比べ)大幅に増えるでしょう。面白ければ多くの人が最後まで金を払うのですから作者にとって損は無く、課金読者が少なければそれは作品がつまらないのです。消費者はリスクから解放され、価値を認めた場合のみ・後から金を払います。

売上のイメージが上図のようになります。売上金額はピンクの面積で比較され、面白い本なら現行比プラスになります。

映画業界も同様です。先に1800円払わされ、2時間後に「ふざけるなよ、金返せ!!」と怒鳴りながら映画館を後にした経験は誰にでもあるでしょう。これも、リスクを観客が負い、リスクがあるが故に「どうしようかなぁ…、興味あるけど…つまらないっていう噂もあるから、やっぱり見るの止めとこう」という潜在顧客の喪失が大量に発生しています。
映画館の入場は無料にすべきでしょう。入場時には、ケータイかスマホをピッとかざして個人認証だけするのです。そして本編の最初の15分は無料。15分以内に席を立って退館すれば(退館時にも退出の認証を行います)、金は取られません。15分経っても館内にいれば、あとは自動的に課金されるようにします。1分10円とかでチャリンチャリンと電子マネーか何かが引き落とされる仕組みです。前半は1分10円、後半は20円、クライックスの15分間は1分30円とか。でエピローグ5分とエンドクレジットは無料にすれば、完視聴した人も慌てて出ていかずに余韻を楽しめます。
中盤でつまらないと思って出ていけば、支払いは500円とかで済みます。つまらなければ途中で支払いを止められる、あるいはタダで済ますことも出来るとなれば、映画館に入場する人の数は激増し、面白い映画は激増した入場者がみんな最後まで金を払うので売上を伸ばす事が出来ます。面白い映画とは、観客動員数の多い映画ではなく(CMを大量に流せば入場者数は稼げますからね)、入場者数に占める完視聴者率の高さで評価されるようになるでしょう。

ゲーム・書籍・映画など、データコンテンツ産業をグリゲー化するのは容易です。では、昔ながらの物質販売業ではどうでしょう。
例えば自動車です。まだ1kmも乗っていない車の代金を先に払わせられるのはどうなんでしょう。ユーザーがまだ恩恵を受けていないのに、メーカーは早々にコストを回収するのはメーカーの都合優先ではないでしょうか?。
というわけで、自動車も車両価格はタダにしてみます。で、走行距離計にITシステムを連動させ、1km走らせるごとにチャリンチャリンと課金されるのです。車を買っても乗らなければタダ。乗った分だけ請求されるなら、今の貧乏な若者でも車を買えるのではないでしょうか。若者の自動車離れが叫ばれて久しいですが、その若者が携帯は買っています。携帯は割引制度のために実質、本体価格を払う感覚は無く、月々の支払いに紛れ込ませてチャリンチャリンと払っているから買えるのです。携帯電話機にできるなら、自動車でもできるのではないでしょうか。
そんなことをすれば、タダで車を手に入れたがずっと駐車場に置きっ放しの顧客ばかりが増え、自動車会社は大損すると思われるかもしれません。でも、グリゲー商法が利益を上げているのは何故でしょう?。グリゲーの顧客は皆、最初はタダでヒマつぶしをしようとしてソーシャルゲームに手を染めます。でも、その中の一部が面白さにはまり、有料アイテムを購入しまくるから採算がとれるのです。
同じ事が車にも言えるでしょう。言葉は悪いですが、一旦若者にタダで車を押し付けてしまえば、最初は「必要最低限の場合だけ乗ってなるべく金がかからないように注意しよう」と思っていても、その便利さに抗しきれず、少なからぬ人数が「近所にコンビニに行くにもつい車を出してしまう」でチャリン。「友達と遊んだり彼女とデートに行くのは、やっぱ車でしょ」でチャリンチャリン。更に一部の者はどっぷりはまり、「夜な夜な首都高で飛ばしまくり」でチャリンチャリンチャリン。グリゲー商法に月1万注ぎ込む馬鹿がいるのと同様に、車に金をつぎ込み続ける人間も必ず出てきます。でもそれは、あくまで自発的に車を楽しんだ人に乗った分だけ課金するのであって、無理やり課金しているのではありません。そうした人間がいるおかげで、「車は買っただけで寝かせたまま」のユーザーがいても、トータルで採算を取る事が出来ます。
つまり現行の自動車販売は、全員に同額で車を売り、一台一台から同額の利益を得ようとしています。グリゲー商法は全く違います。ある人はタダのサービスだけにとどまり、ある人は巨額の金をつぎ込む。不公平ですが、ゲームを堪能している人が、あくまで自発的に金を払っているのです。車も、材料費や人件費・開発費を価格として一律に請求するのでなく、たくさん乗っている人から応益負担で料金を請求するのです。だって、嫌なら(金を払いたくなければ、1kmあたりの料金がそこから得られる効用に見合わなければ)乗らなければいいのですから。

そんな世の中が、来たりするのでしょうか。