水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

暴力を使った部活指導は「効果がある」から禁止すべきなのでは?

大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将の生徒が顧問から体罰を受けて自殺した事件。メディアの報道等を読んで気になったのは、NHKの記事の見出し「桑田真澄さん“体罰では強くならない”」のような書き方です。
強くならないからダメ、というのであれば、じゃあ強くなる暴力はいいのか?となりますし、何より、暴力指導には効果があります。鉄拳制裁が蔓延していた桜宮高校が「部は目に見えて強くなり、過去5年間で3回インターハイに出場した」実績を前にして「体罰に効果無い」は空疎な建前論にしか聞こえません。

暴力の効果

暴力指導が効果を上げるのは、それに耐えて伸びる生徒が一部にいるからです。軍で、特別に過酷な訓練を課して多くの兵士がドロップアウトする中、生き残った精鋭だけを集めればNAVY_SEALsのような最強部隊を作ることができます。
今回の自殺事件でも、顧問を擁護するOBがいることが印象的でした。「顧問を知る卒業生からは「先生がやってきたことは間違っていない」などと擁護する声も聞かれた」とか「多くの生徒が顧問に憧れて入部しており、手を上げられることがあるのは最初から納得していた(中略)大学で現在もバスケットを続けている別のOBも「上達したのは顧問教師の指導のおかげ」と話す。(中略)ツイッターやフェイスブックには複数のOBらから(中略)「先生の言葉や行動にはいつも僕たちへの思いがあった」など擁護する書き込みも相次いでいる。」など。
これらは「耐えきった」側の論理です。つまり「一年で部活に入ったヤツは50人以上いたが、先輩のシゴキに我慢できず辞め、顧問の鉄拳制裁に耐えられず辞め、厳しい練習に音をあげて辞め、三年になって残っていたのはオレを含めて10人といなかった。その仲間と試合を戦い抜いてインターハイ出場を勝ち取ったんだ」的な人達です。いや、途中で何人辞めたかは知りませんが、例えばの話です。こうした人たちにとって顧問の暴力は、それに耐えて自らを鍛え上げたからこそ栄光をつかめた、価値のある「通過儀礼」であり、インターハイ出場は誇り、小難しく言えば「自己承認」の原動力です。くぐり抜けた試練が厳しいほど自己承認感情は強くなる。これを外部の人間から犯罪と批判されれば、涙や血を流してきた努力を、青春を否定されている訳で、そりゃ擁護もしたくなるでしょう。
暴力を使わずに結果を出す指導があり、そうすべきです。でも暴力指導に効果がない訳じゃない。だから当事者の一部からも支持され、暴力に頼った指導が温存されてしまいます。「効果がないから止めよう」では(ウソつけ)と思われて聞き流されるのではないでしょうか。

暴力の害

暴力指導がダメなのは、強くなれないからではなく、強くなる過程で悲惨な犠牲者を出してしまうことです。
桑田真澄氏は朝日新聞でのインタビューで次のように述べておられます。「プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。(中略)「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。 」「殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です」と。自殺は最悪の損失でしょう。
桑田氏の体罰否定論で重要なのはココだと思うのです。強くなれないから、とか安易とかの問題でなく、犠牲を生み、それを踏み台にする指導方法を許してはいけない。
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-2862.html:TITLE=2ちゃんねるで桑田氏の過去のblogが紹介されていました。WBCで投手に70球という球数制限があることについて次のように述べておられます。「体力、精神力、技術を兼ね備えたプロの投手に、70球以上投げてはいけないと言っているんですよ。それなのに、体もできていない成長期の小学生、中学生、高校生、大学生に、練習や試合で、100球、200球と投げさせている指導者が、何と多いこと。この現状は、とても恐ろしいことだよね。勝利至上主義以外、何物でもないよね。学生時代は、育成が大切なのに、どんなことをしてでも勝つことしか考えていないんだよね。子供の将来なんて、何も考えていないんだよ。そんな指導者に、子供を預けている親は、恐ろしいことをしているよね。」(原文の改行を無視しています)
200球投げさせるのはビンタではありませんが、目先の勝利のために子供の肩肘を壊して将来を潰してしまう、これも酷い暴力です。勝利のために子供を使い捨てにさせてはいけない。

部活は究極のブラック企業

社員に毎月100時間残業させて1円も残業代を払わなければ人件費を格安にできてコスト競争に勝てる。利益を出せる。でも、そんなことをしてはいけない。ここで「そんな雇用をしている会社は有能な人材が集まらなくなり結局、長期的には業績も悪くなって消えていくよ」などと悠長なことは言っていられません。長期的に淘汰される前に無数の社員が心や体を壊されて潰れていきます。
中学高校の部活は、三年で全ての社員が入れ替わり、一年二年で辞めていく社員もたくさんいるが、でも毎年毎年新入社員が豊富に入ってくるので、いくらでも社員を使い捨てにできる究極のブラック企業のようなものです。過酷なノルマを果たして出世(インターハイ出場)して喜ぶ社員もいるし、株主(校長・学校経営者)は何よりも利益(部活の成績)を求めて社員の犠牲は見て見ぬふりをするので、なかなか内側からの自浄は困難でしょう。

暴力を排除する施策

どうすれば部活指導から暴力を排除できるのか。橋下市長が成人式で「大阪市はクラブ活動で手をあげる指導を一切禁止する」と宣言するだけでは解決しないでしょう。ネット上では様々な論考を見ることができ、勉強になりました。

為末大氏は学校の閉鎖性とクラブの市場性の差を指摘されています。なるほど、水泳や体操ではイトマンとか朝日生命体操クラブみたいなクラブが選手育成機関として活躍しています。教師が顧問をするより優れた指導が受けられそうです。学校の教師より塾や予備校の講師の方がずっと授業スキルが高いのに似ているかもしれません。

2ちゃんねるではhttp://footballnet.2chblog.jp/archives/22238415.html:TITLE=こんな記事を見ました

サッカーで体罰がほぼ淘汰された理由
1,ライセンス制度が軌道に乗って腐った指導者どもが淘汰されたのと
2,最高峰の大会が結構でかいリーグ戦勝ち抜けなければたどり着けなくなったのと
3,クラブユースが発達して選手の選択肢が増えたこと

1→指導法の体系化、合理化によって体罰など独自の指導法は完全に否定された。大元のメゾットがドイツからの導入のため「人間教育」などという曖昧な者は排除された
2→最高峰の大会、高円宮杯地域リーグで勝ち抜けなければ決勝ラウンドには絶対に進めない方式。一発勝負ではなく総合力が問われる形になったので精神力や根性よりもコンスタントに結果がでなければならない。早い話、根性じゃどうにもならない形になった。
3→クラブユース、街ユース、高校サッカーと多くの選択肢があるため選手集めが高校主導じゃなくなってる。てか強豪高校はクラブユースからのおこぼれで勝てるサッカー部になる形。もしも体罰なんかしようものなら供給源は絶たれ、協会は指導者のライセンス剥奪に動く結果、体罰なんかやっても良い事なくなる
そして日本のサッカーはアジアを超越して強豪の一歩手前まで進化・・・と  (原文の改行を無視しています)

専門知識を持った指導者の育成と、試合構造の工夫と、三番目のクラブの話は為末氏の意見と重なってますね。
最後にanondはてなではhttp://anond.hatelabo.jp/20130114214839:TITLE=「桜宮高校で「顧問王国」が出来てしまったたった一つの理由」として、教師がほぼボランティアで部活顧問を兼務している問題が指摘されています。一部を抜粋すると、

抜本的な解決策としては欧州のように学校単位での部活動をなくして社会体育化するか、アメリカのように学校単位で部活動はかかえつつコーチ(指導)はプロがするという形しかありませんが、どっちも無理でしょうね。

「社会体育化」は前のお二人の「クラブ」と重なり、「コーチはプロ」はライセンス制度と重なります。最後の一文は悲観的ですが、サッカーでは成功したのですから、他の競技でも何とか改善を目指さなければなりません。民間クラブの普及は市場で決まるので行政ではコントロール不可ですが、指導ライセンスや試合構造の工夫は各競技団体等の決断でできるのではないでしょうか。問題は、教師兼務をやめて専任コーチに切り替えるとなえると新規雇用には相当なコストがかかるわけで…。うーん、今の財政ではそこまで目指すと厳しいかなぁ。

アメリカの部活と日本の比較

アメリカは学校での運動部が非常に盛んです。アメフト・バスケ・野球。いずれも学校対抗戦に学校中どころか町中が盛り上がるさまは米映画やドラマで良く見かけます(そしてアメフト部のキャプテンは必ずチアリーディングで一番の美人とカップルになり、スクールヒエラルキーの頂点に君臨しています(笑))。保護者や校長が部活の成績に期待を寄せる圧力は日本より遥かに強いでしょう。ここで「プロのコーチ」が目先の勝利のために暴力を使う誘惑に駆られないのか?と思ったりします。あるいは、暴力はあるのか?(この辺、どこかに詳しいサイト等があれば教えてください)

サイトを巡って分かった範囲で、アメリカの部活の特徴をいくつか挙げてみます。
①部活動のコーチは教育委員会のサイトで年間給与が示されて一般に公募されることが多い。特にアメフトやバスケットボールのコーチはステイタスが高い。→給与の相場はわかりませんでしたが、専門家を雇用するには、やはり相応のコストを負担しないといけないわけですね。*1
②スポーツプログラムが年間3シーズンに分けられ、各競技の活動期間が限定されいている。例えばアメフトやバレーは秋シーズン(8-11月)、バスケは冬(11-2月)、野球・陸上・テニスなどは春(2-5月)。→運動神経優秀な生徒はシーズンごとに違う競技をハシゴすることや選ぶことができる。為末氏が指摘した学校という閉鎖性の中でも自分の適性を探したり「低能力なコーチ」のいる競技を避けられる自由度になっているのかもしれません。日本の高校野球のように甲子園で負けた日に監督が「明日から来年の甲子園を目指して練習を再開します」と言うことは無いわけです。
③試合は地区ごとのリーグ戦が基本で、シーズン中は週に1回〜2回の頻度で平日に対校試合がある。トーナメントは地区優勝チームが州チャンピオンを目指すゲームでのみ行われる。→これは「サッカーで体罰がほぼ淘汰された理由」の2に合致しています。参照元ではこう書かれています「日本ではトーナメント戦が主流であり、常に地区1回戦で敗れるようなチームでは、年間にせいぜい3回か4回しか公式戦を経験できない計算になる。年間300日近くを練習に費やし、わずか3回の公式戦で1年が終わるというのはどういう気分なのであろうか? 」
④地区リーグは学校の生徒人数規模に応じて1部〜5部まであり、選手は能力によって一軍、二軍、新人軍に分けられ、各軍で別々のリーグ戦が成立している。→これも参照元でこう書かれています「日本のように常に一軍の選手だけに公式戦でのプレーのチャンスがあり、二軍以下はボールさえも触れない、そして、高校生活を通して一度も公式戦に出たことがない、などということが発生しないように全ての生徒に等しくチャンスが与えられている」
⑤部活動にコーチがいないなどということはありえず、必ず練習に立ち会う。また高校では専属のアスレティック・トレーナーが雇われている。→日本では部活に興味のない「名ばかり顧問」もいて、練習も生徒にお任せ放置ということがありますよね。参照元ではこう書かれています「パフォーマンスの向上だけでなく安全の確保の点からも当然のこと」*2
⑥入部するのにトライアウトがある。つまり希望者全員が入れるのでなく、テストをパスした一定人数だけが入部できる。また、州や学校で定めた学業の成績基準をクリアしないと入部できず、途中で悪くなれば退部させられる。→ある留学経験者の話では、中学のバスケ部で「最初の日はだいたい80人受けに来た。1日毎に徐々に減っていって合格者は私を含めてたった15人だった」。更に「1年生のときに所属していたからと言って2年生でも所属できるとは必ずしもなく、2年生になったらまた新しくトライアウトがある」と書かれています。厳しい。*3 *4
つまり、入部できた人には③④のように十分な活動機会が与えられ、更に優秀な人は②のように複数競技で能力を発揮できますが、そもそも運動能力の低い生徒や、高校からバスケしたいなんていうシロウト生徒は入部さえできないわけです。ただ人数が少ないということは、生徒を潰したり使い捨てにはできない抑止効果があるかもしれません。日本のように、平等に入部はできるが、三年間タマ拾いしたりベンチで声だけ出しているのとどちらがいいかな。

*1:①と後述⑥の一部についてはここを参照しました

*2:②から⑤はここを参照しました。

*3:⑥はここを参照しました

*4:③⑥についてはここも参照