水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

羊たちの漢字

2015年の干支はヒツジということで、漢字の中にいる羊たちの姿を探してみました。

スムーズか否か:「達・遅」

「達」の旁(つくり)は元々は「大」の下に「羊」と書き、大が母羊の後脚を示し、子羊を産む様子をあらわしていました。羊が安産だったので「スムーズに通る」と、しんにょうの「歩いて進む」を合わせて「目的を達する」という意味になるそうです。
一方「遅」の旁は本来は「犀」を書いて「サイのように動きがノロイ」だったのに、いつしか略して尸の中が羊になってしまいました。なので、ここに羊がいるのは冤罪です。

色気が先か、食い気が先か?:「美・羨・羞」

「大きい羊」と書いて「美」。「丸々と肥えた羊はうまそう」で、ビという音は「肥」につながるそうです。なので「美」とは、まず先に「味の良い、美味なる、甘い」といった意味があり、「姿の良い、美しい」は後から付いたもの。というと、何やら海原雄山あたりが説教に使いそうな感じですが、辞典によっては「立派な羊の形の良さ」「美味は転義」という色気先行説もあります。
食い気先行説に一票を投じそうなのが「羨」。下にあるのは「涎を流しているさま」をあらわし「羊、めっちゃうまそう、ジュルジュル」で「羨ましい」となります。
「羞」の右下にあるのは手の象形で、「いけにえの羊をすすめ供える」なので、元は「勧める」とか「食事を提供する」といったポジティブな意味なのですが、そこから「恥じる」という意味にもなるそうです。しかし、どう転じたらネガティブな意味になるのでしょう?

大事な場面では:「養・義・着」

同様に、いけにえの羊が出てくるのが「養」。宗廟に供える三牲=三種のいけにえ(牛・羊・豕)の中でも羊が最もグレードが高いので、羊が字に乗っかっています。
「義」の下にある「我」は「ギザギザの刃がついた矛」で、「義」全体で「神にささげる羊を殺すさま」。なので「欠陥がなく神意にかなった」とか「厳粛な作法にのっとった正しい行為」というニュアンスから「正義」といった意味になるそうです。家畜として高く評価され大切にされている裏返しとは言え、羊さん、いけにえにされ過ぎです。
となれば、「着」に羊が出てくるのも「ウールの服が良い」から、となりそうなのですが、さにあらず。「着」は元々「著」のことで、チョと発音するときは「著」に、チャクと発音するときは別字になって「着」になった。だそうです。うーん、でもわざわざ音を分けて別字が生まれて「着」に羊がくっついたのは「ウール最強説」が原因じゃないのかなぁ、と思うのですが…。

「善」に至る道

「善」の元の字は「譱」。羊のタテ棒を下に伸ばし、その棒の左右に相合傘のように「言」「言」と置きます。これは「羊神判」を実施している様子だそうで。双方が神に誓い、原告がその言い分を尽くし、被告も言い分を尽くし、争い競って言う。その上で、勝敗、正否を決して良い結論を求める、とのこと。どうやら古代中国人にとって「善」とは「朝まで生テレビ」のような争論の果てに辿り着くもののようで、「空気を読む」のは「譱」ではないのかもしれません。

ヒツジ年

「羊」はとてもシンプルな象形文字ですが、それでも解字に諸説あって面白いです。後漢の時代に許慎と言う人が作った「説文解字」という最古の辞典が解釈の原点になるそうで、そこに書かれている「ヒツジの頭角と尾の形」説を採用している辞典もあります。他方、「説文解字は結構間違いもあるんだよね」派の辞典編纂者もあり、「ヒツジの角と四足と尾」説や、逆に「ヒツジの首の形」説もあります。ま、個人的にはどれでもいいと思いますが。
え? そもそも、干支のヒツジは「未」でしょって? まぁ、確かに。

ともあれ、今年一年、ヨダレが出るほど美味いものを食べ、美しいものを見て、できれば多少は教養なども身につけ、善いことがたくさんありますようにと願っています。では。


以下の各資料を参照しました。:平凡社「字統」、大修館書店「大漢語林」「現代漢和辞典」、角川書店「大字源」「漢字の起源」、学研「新漢和大字典」、三省堂「新明解漢和辞典」。「美」「羊」の箇所でも書いたように、各漢字の解字については諸説あり、私がチョイスし紹介したもの以外の説もあります。