水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

タタ自動車・ナノに見る「三丁目の夕日」と「落日?」

タタ自動車、ナノの購入希望者 10万人決定へ

先月から購入者への引き渡しが始まったタタ自動車の格安小型車・ナノ。夢のマイカーを手に入れられるのは、2070万人の申し込みから抽選で当たった10万人なのだそうです。2070万人って…。

それはともかく、ナノが発表された時、これを批判する声が多くありました。「パワステもパワーウインドウもない、エアコンもない、ワイパーが一本…。いくら安くするためでも、余りにお粗末ではないか。」「こんな安い車、いくら作っても利益にならずビジネスとして意味がない」
でも、ほんの少し過去に戻れば、日本にもナノがいました。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は1958年(昭和33年)が舞台だそうですが、まさにその年に発売されたのがスバル360という車です。

スバル・360(Wikipedia)

大ヒット商品となり日本の大衆モータリゼーション黎明期を支えた自動車は、エンジンがたった356ccという超軽自動車でした。

当時日本で売られていた車が全てこうした軽自動車だったわけではありません。55年に発売開始されたトヨタ・クラウン、57年の富士精密工業スカイライン(共にエンジンは約1500cc)といった「富裕層」向けの車もありました。
そうした車に手が届かない庶民のために開発された革新的な商品がスバル360でした。エアコン・パワステがないのは時代から当然ですが、当時の「高級車」にはついていた、カーラジオやシガーライターさえなく、ワイパーも一本だけです。ね、ナノに似ていませんか。いえむしろ、623ccのナノは立派なものでしょう。

残念なのは、日本の自動車メーカーは、自分たちの歴史を顧みれば、つい50年前の日本の自動車市場を思い出せば、ナノのような商品に対する需要が新興国にあることに気付けたはずではないかということです。

ALWAYS 三丁目の夕日」では、三輪車ダイハツ・ミゼットが活躍していました。57年発売開始、エンジンは何と250cc〜305cc。このミゼットに乗って、堤真一さんや堀北真希さんは貧しいながらも明るい未来を信じて、夕日に向かって突っ走っていたわけです。インドの労働者階級は、今まさにこの時代を猛スピードで駆け抜けているのです。

ナノはインドのスバル360なのです。

「今どきエアコンもないなんて…」という自分たちのモノサシが唯一のモノサシだと決めつけていなかったか。「そんな価格で作れるはずがない」と諦めて、2000万人が買いに殺到する市場をみすみす捨てることにならないか。


60-70年代に日本の自動車市場は急成長しましたが、アメ車は実に売れませんでした。ビッグ3の経営者たちは「我々はこんなに素晴らしい車を作っているのに、これが売れない日本はおかしい」などと文句を垂れていましたが、我々から見ればおかしいのは向こうの方でした。日本の道路事情をまったく無視した巨大なボディ。日米ではガソリン価格が大きく違うことをわかっていない燃料をがぶ飲みするエンジン。左ハンドルのまま輸出してくる無神経さ。

この当時から米自動車メーカーといえば、市場の違いを考えようとしない、ユーザーのニーズに合わす努力をしない、傲慢な悪しき製造業の見本とされていました。今日のGMやクライスラーの経営破たんへの道は、40年も前から始まっていたのです。
(そうこうするうち石油ショックが起こり、世界中で燃費の良い小型車に需要が移り、日本の自動車産業は急成長を遂げることになります。そのこと自体は運ですけどね。)

タタ自動車、南米で「ナノ」を共同販売へ

タタ自動車、ナノをアフリカで販売へ

三丁目の夕日」時代を駆け抜けている国はインドだけではありません。アジア・アフリカ・中南米、そこかしこで昭和30年代の日本が再現されているはずです。

今、日本の自動車メーカーがナノをどう見ているのか私は知りません。望むならば、かつてビッグ3が日本車を侮り、冷ややかに見ていたような目で見ていないことを祈るばかりです。