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水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

日本人が世界一キレやすい民族である理由

今回の震災で日本人が好んで自画自賛したのが「忍耐強く、思いやりに満ちて理性的に行動する日本人」の姿でした。被災地で略奪や暴動が起きない事を海外メディアが奇跡だと絶賛し、そうした報道を日本人自身が引用して民度の高さを誇るという図式です。確かに被災地では、震災直後に倒壊を免れたコンビニやスーパーの前に秩序を守って列を作り、残された僅かな商品を少しづつ買い求める人々の姿があり、避難所では一つのおにぎりを分け合って食べる姿がありました。
でも、それだけが日本人の姿ではありません。震災後、東京では醜く愚かな買占め競争が繰り広げられていました。カートに山積みされたミネラルウォーターのボトル。レジ袋(大)が二つも三つもパンパンになるほど詰め込まれた大量のカップ麺。とはいえ、地方の人は共同体意識が強く、都会は個人主義(自分勝手)という訳でもありません。東京でも、震災当日は全ての鉄道が止まりましたが、寒空の下、何時間待つかわからないバス停にじっと並ぶ人々、黙々と徒歩で家路を目指す人々の姿がありました。翌日に運行再開された鉄道の駅でも、駅舎ばかりか周辺まで埋め尽くすほどの人が入場制限や階段での順番待ちに冷静に対応していました。
でも、その我慢強いはずの人達が、普段は電車が5分10分遅れただけでも駅員を罵倒したりしています。世界広しと言えど、電車が時刻表から5分遅れたことに腹を立てる人がいる民族など日本人しかいないでしょう。その意味では、日本人は世界一短気でキレやすく我慢ができない民族と言えます。おにぎりを分け合う行動と5分の遅れを許せずに駅員を怒鳴る行動が何故両立するのでしょうか?。

そこには、日本人が持つ「平等への強い執着」があると思います。
普段は殆どの列車が定刻通り運行されているので、自分が乗る列車が5分遅れるのは「平等ではない」。自分が受けるサービス(5分遅れ)がサービスの平均値(定刻通りの運行)より劣っているのが許せないから駅員を怒鳴る。でも、震災ですべての列車が止まれば「平等に」誰も帰れないから、自分も帰れなくても気にならない。誰もがバスを3-4時間待つのがサービスの平均値になるので、自分も3-4時間待たされても怒らない、となります。
被災地では誰もがおにぎりを分けて食べているから自分もそれで構わない。でも自由に買い物ができる東京では、スーパーに行くと誰かが買占めに走っているのを見てしまう。誰かのカートに満載の食料を見てしまうと、「間もなく商品はなくなるだろう。今買占めに参加しなければ、自分は食料を買えなくなり平等から脱落する。食品を買えない負け組=平均値以下になる。」というパニック心理が生じ、買占めに参加する事になります。
平等でさえあれば被災地の悲惨な水準の平等でも我慢できるが、不平等と感じる場合は5分の遅延も腹が立つ。そうした平等への執着が

避難所をまわって感じたのは、「行き過ぎた平等」が大勢の人たちに弊害を与えていることだ。いくつかの自治体は、全員に平等に行き渡らない支援物資は配給できないという。たとえば120人いる避難所では、手元に100個のカップラーメンがありそれを欲しがっている人が避難所にいても、1個も配布できないというのだ。受け取れなかった人からのクレームを怖がっているのである。
ある避難所では「特定の人のニーズを聞いてそれをかなえると不平等だから、個人に困りごとを聞かないでくれ」と管理者である役人から言われた。

http://response.jp/article/2011/04/20/155227.html

といった奇怪な現象を生みます。

こうした平等維持行動は、震災以外の局面でも見られます。例えば、日本人は諸外国に比べ銀行預金を偏愛している事が知られています。*1

株式投資は、同じ金額を投入しても大儲けから大損まで結果はすこぶる不平等で、それに対し銀行預金は同じ預金額には平等な利息が保障されています。日本人が株式投資をせずに預金するのは、投資に成功して他人より得をする(平均値より上に行く)機会を放棄するかわりに、失敗して他人より損をする(平均値より下に行く)リスクを絶対に回避することであり、平均値(預金金利)を確保する行為と言えます。人より得をしなくてもいいが、人より損をするのは耐えられないのです。

日本的雇用慣行がなかなか崩れない。とりわけ、解雇へのアレルギーが強いのも似ています。誰かが解雇されて誰かが解雇されないのは不平等。だから、企業は倒産寸前に追い込まれるまで全員を平等に雇用すべきだと言う考え方になります。
地方分権が掛け声倒れで遅々として進まないのも同様です。ある自治体が独自の取り組みを実施し、その町の住人だけは良い行政サービスを享受できるが周辺の自治体ではそうした事業は行われていない。そんな時に必ず起きるのが「住む地域によって不平等があるのはおかしい。こうした問題は国がキチンとした基準を作って、その基準に従って平等に施策が行われるべきだ。」という批判です。国がキチンとした基準を作れと言うのは、要するに地方分権するなと言っているのと同じです。

先の計画停電では、23区が特例扱いと言う事も批判されましたし、例えば「すぐご近所は一週間に2回しか停電しなかったのに、私の住んでいる所は5回も停電があった。不平等だ。」といった批判も多くありました。中には「必要が無くても全部計画通りに停電させれば平等だ」という意見もありました。

平等維持志向は自縄自縛によってエスカレートする傾向があります。先に挙げた「120人に対して100個のカップ麺が配れない」もその典型でしょう。鉄道の定時運行が完璧に近づけば近づくほど、些細な遅延を不平等だと感じる人が増えてしまいます。20分30分の遅れが常態化していれば、5分の遅延を不平等と思う人は発生しません。東電がどこかの途上国のように日頃から無計画停電を繰り返していれば、計画停電の回数が2回か5回かで不満を言う人もいなかったでしょう。
日本人が世界一キレやすいのは、期待する平等の水準が世界一高い、世界一完璧を要求していることが原因のように思われます。そして災害時に極めて抑制的でいられるのは、悲惨な状況でも、その中で可能な平等を維持しようと言う意思が強く働くこと、不正に抜け駆けして平等より上に出ようとすると周囲から強い批判や社会的制裁を受ける事を知っているからでしょう。京大カンニング事件が警察沙汰になった事が思い出されます。

*1:引用元はコチラ