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水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

憲法26条の限界、憲法の限界

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

ガキんちょが「何で学校なんか行かなきゃいけないんだよー。」とブー垂れると、親は「それは義務教育だからでしょ。ぶつくさ言ってないで、さっさと学校行きなさい。」と叱ります。でも憲法を読めば、子どもには学校に通う義務などなく、教育を「受ける権利」だけがあることがわかります。義務があるのは親の方で「受けさせる義務」がある訳です。
問題があると思うのは、「受けさせる義務」を負っているのは「親(保護者)」とだけ書かれている事です。親が無責任だったり、経済的困窮によって「受けさせる義務」を果たさない・果たせない場合、子どもの教育を受ける権利は守られません。「義務教育は、これを無償とする。」と書かれていますが、実際に無償化されているのは授業料と教科書代だけで、給食費・体操服・修学旅行費用をはじめ、絵具に書道道具に家庭科で使うむやみに充実した裁縫セットに一瞬使うだけのそろばんに…、その他諸費用は有償です。この有償部分に、貧困化による困窮の波が押し寄せています。
PISA学力調査成績トップでおなじみフィンランド憲法では、

Section 16 - Educational rights
Everyone has the right to basic education free of charge. Provisions on the duty to receive education are laid down by an Act.
The public authorities shall, as provided in more detail by an Act, guarantee for everyone equal opportunity to receive other educational services in accordance with their ability and special needs, as well as the opportunity to develop themselves without being prevented by economic hardship.
The freedom of science, the arts and higher education is guaranteed.
第16条−教育権
全ての国民は、基礎教育を無償で受ける権利がある。教育を受ける義務の規定については法律により定める。
公権力は、詳細は法律で定める通り、全ての国民に、各人の能力や個別の必要に応じて代替的な教育サービスを受ける均等な機会を保証しなければならない。また、経済的困窮に妨げられることなく各人の成長の機会を保証しなければならない。
科学、芸術、および高等教育の自由は保証される。

フィンランド憲法

とあって*1、“The public authorities shall guarantee”が明記されています。ドイツ連邦共和国基本法を見ると、

Artikel 6 [Ehe und Familie, nichteheliche Kinder]
(2) Pflege und Erziehung der Kinder sind das naturliche Recht der Eltern und die zuvorderst ihnen obliegende Pflicht. uber ihre Betatigung wacht die staatliche Gemeinschaft.
第6条 [婚姻、家族、非嫡出子]
(2) 子の監護および教育は、両親の自然的権利であり、かつ何よりも先に両親に課せられた義務である。その実行については、国家共同社会がこれを監視する。

ドイツ基本法

とあります*2。なんかちょっとコワイ文章になっていますが「国家共同社会がこれを監視」というのは、ただ監視するだけでなく監視して問題があれば国家共同社会が何がしか対応フォローするという含意があるだろうと思います。
日本の憲法は「親の義務」だけ書いて突き放してしまい、その先にあるべき国による保障の責務がありません。

昨今、貧困家庭の増大によって「子どもが教育を受ける権利」が十分守られていない状況を見る時、憲法を改正して国の関与と責任を明文化するべきではないかと思います。ということで話を締めようと思ったのですが、日本の場合も教育基本法を見ると

第四条(教育の機会均等) 3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。
第五条(義務教育) 3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。

と明記されていました。なぁんだ。結局、法律の不備ではなく、法律はあるが守られていないと言う問題でした。
ちゃんちゃん。

法律が守られていないのが問題なのは確かですが、ただ、ドイツ連邦共和国基本法はたびたび改正されていますし、フィンランド憲法も改正を重ねた上に旧四基本法を統合した新憲法を2000年に施行しています。こうした改正の過程で、国民と政府の問題意識や意思が憲法条文の追加や書き換えとなって表現されていくものだと思います。
日本では、憲法は何か神聖不可侵なもので改正を持ち出すことが危険思想であるかのように喧伝されている気がします。憲法改正憲法9条改正ではありません。自民党政府は、「憲法を変えてはならない」と主張する野党の抵抗を都合のよい口実にして、9条以外の、見直していくべき条文を長きにわたり放置してきたように思えます。
見直すべき条文は、例えば環境権・国民の知る権利・情報公開・プライバシー権など自民党政権にとっては鬱陶しい・できれば明文化したくない問題が多かったからです。憲法26条の「遅れ」も、放置の結果だと思います。
例えば森林は、植林しっぱなしではダメで、適宜枝を払い、間伐をして、切り倒した後に新たな苗木に植え替えるという手入れをしなければ荒廃していくものだそうです。
日本国憲法は、1947年5月3日の施行以来、62年以上も手入れされていません。これは、護憲という美名を被った放置ではないでしょうか。

*1:自分で訳したので、間違っていたらすみません。

*2:こちらは「『自立した市民』を目指す不動産屋のオヤジのページ」さんの訳文を引用しています。