水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

なぜ電気料金を引き上げないのか?

町に静かなパニックが拡がっています。スーパーに行くと、肉や魚は仕入れを停止しているのか在庫を売り切って棚は空。その他の食品も、多くの客が押し寄せて買占めをしているために商品がなくなっています。また、計画停電が実施されるとレジが止まるため、予定時刻の前に店舗を閉める所が続出しています(実施されるかどうかわからないが、実施された場合に備えて閉店せざるを得ないようです)。鉄道の多くは停止。企業は従業員が出社できずにマヒし、一方で道路はどこも大量の車で渋滞。徒歩の人間に抜かれていく状況です。
これは、計画停電の影響が都市機能の「停電時間中だけの一時停止」では済まないことを示しています。まだ実際には停電が実施されていないというのに…。昨日書いたことの繰り返しになりますが、やはり電気料金を大幅に引き上げて需要を削減する方が、ずっとマシな、混乱が少なく効率的な解決策になるのではないでしょうか。

昨日は電力不足は500万Kwと書きましたが、実際には供給能力3100-3300万Kw VS 需要のピーク見込み4100万Kwで、最大1000万Kwほど足りないようです。でも私の考えは変わりません。昨日は勢いで電気料金を5倍か10倍にしてしまえばいいと書きましたが、実際にはそこまでしなくても、2-3倍に上げれば不足分程度の需要削減は達成されるのではないかと思います。
「電気料金を上げると貧しい家庭が困る」と言う人もいるでしょうが、現実を見ると停電による被害の方が大きくなると思います。毎日3時間停電するとなると、スーパーも商店街も精肉や鮮魚を売れなくなるのではないでしょうか。冷凍食品も売れなくなるでしょう。道路が渋滞で溢れれば、その他の食材や日用品の流通もマヒしかねません。幼い子供を育てている低所得なシングルマザーの家庭を考えても、「電気料金が高くなる」損害と、「スーパーに行っても肉や魚が買えないし冷凍食品もまったくない」「冷蔵庫の中の食材がダメになっていく」「家事をしなければいけない時間帯に電気が来ない」「電車が止まって勤務先に行けない」損害の、どちらが深刻でしょうか?。
電力が不足している時点で、必ず損害はあって弱者にもしわ寄せは行きます。選択すべきは、その損害を「計画停電」で分配するのと「料金調整」で分配するのと、どちらがマシかです。

たとえ電気料金が倍になっても、シングルマザーの家庭は冷蔵庫だけは今まで通り電気を使い、その他を必死に節約することで消費電力量を切り詰めれば、支払い料金は倍にはなりません。消費電力を3割カットすれば、0.7×2=1.4で電気代4割upで済みます。スーパーも、電気代が倍になっては採算が取れないので、思い切って店舗内の空調は全停止して、食品の冷蔵冷凍にだけ電気を使う選択ができます。鉄道も、車両内の空調を止めて運転本数を減らすが全面運休はしないように調整できます。減数運転なら、企業や人は通勤時刻をずらしてラッシュを回避できますが、全面運休されると対応できません。あるいは、鉄道運賃も引き上げて、余暇的な鉄道需要を減少させるのも方策です。工場などの大口需要者に対しては、「他の時間帯の電気料金は1.5倍にとどめてあげるけれど、需要がピークになる17-19時の電気代は3倍にする」といった調整もできます。そうすれば工場は勤務時間を7時〜16時にして操業できます。
料金の引き上げは、高い料金には見合わないと各人が判断する必要度の低い需要から自発的に削減させる効果があるのに対し、停電はそうした個別の工夫や調整をすべて不可能にして「全停止」を強要する解決策です。

海水を入れた原子炉はもう使い物にならないので、地震がおさまっても福島原発は戻って来ません。電力不足は長期的に続くと考えられ、東電計画停電はとりあえず4月末までと言っていますが、夏にはまた不足するでしょう。真夏に3時間停電すると食材が腐るだけでなく、病院などは(生命維持装置は自家発電で賄うでしょうが)空調が維持できないと大問題になります。
数日程度なら停電を我慢するのも策ですが、ずっと続くのであれば「安定的に」需要を減らす手立てを考えるべきで、季節ごとに、電力需要が供給能力以下におさまるところまで価格を引き上げるのが、私は一番マトモな解決策ではないかと思います。
なぜ、テレビ見ていても誰も「料金上げちゃおうよ」と言わないのでしょう?。東京の電力需要は価格弾力性がないほど「必需」で満ちてはいないと思うんですよ。贅沢な、無駄な使い方しているところも多いと思うのですが…。不思議です。