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水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

小さな政府ほど、大きな政府を必要とする理由

先日のエントリーに載せたグラフを再掲します。

これは、職種別に過労に関する労災請求した件数を各職種に従事する人数の比率で除して、職種別の過労死危険度を係数化したものです。(詳しくは、コチラをどうぞ。) 「若者が管理職に昇進したがらないのは意欲の欠如ではなく、管理職になると過労死リスクが跳ね上がるからだ」ということをデータで示したくて作成しました。実際「管理的職業」のリスクは、ヒラで「事務」や「生産工程等」に従事する人の3-6倍にもなるのですが、それ以上に断トツで過労死リスクが高い職種があることが示されてしまいました。「運輸・通信」。リスク係数6.12は、ヒラ事務職(同0.58)の10倍以上の危険度です。運輸・通信という大雑把な分類ではわかりにくいですが、過労死を頻発させているのは自動車運転手。要するにトラック・バスなどのドライバー職です。
なぜ、トラックドライバーはこんな悲惨な職業になってしまったのか。それは規制緩和と関係します。

90年に物流2法が施行されるまで、トラック輸送業界は行政の厳しい規制に保護されていました。事業への新規参入は免許制、運賃も許可制。適正な需給バランスを維持してサービスの質を確保すると言う口実の下、行政と癒着した既存事業者の既得権益が保護され、競争や新規参入が阻害されてきました。
規制緩和より以前、ヤマト運輸は1976年に宅急便事業を始めましたが、旧運輸省による嫌がらせ(事業認可決定の遅延行為等)に苦しめられ、行政訴訟を起こしたり新聞紙面に運輸省を批判する大広告を打ったり、命がけの戦いの末に全国展開を勝ち取りました。
規制緩和の「本来の」目的は、自由な競争によって他社より効率的なロジスティックを実現した企業が生き残り、劣るものは退出する。他社にない優れたサービスを実現した企業が生き残り、劣るものは退出する、ということです。ヤマト運輸の全国翌日配送やクール宅急便は、まさにこの理念を実現したものです。
しかし殆どの企業にとって、他社より効率的や他社にないサービスの開発は極めて困難なものです。結果として、大半の企業はもっと安易な方法を選択しました。過積載・過酷な労働環境・賃金の引き下げによってコストを下げる道です。トラック会社の経営者だけが悪人な訳ではありません。荷主の無茶苦茶な要求に押し切られ、休日も与えず徹夜でトラックを走らせ続けた運送会社はコスト削減を実現して運送契約を与えられ、労基法や道交法を守った企業は割高になって契約を切られる。悪化が良貨を駆逐する典型で、ドライバーに最も劣悪な労働環境を押し付けた企業が生き残る結果になりました。新規参入や零細な運輸会社は、それよりもっと酷い労働条件をドライバーに課して契約を奪うしかありません。
監督機能がザルなので、労働法規を無視することが最もローリスクハイリターンな経営になってしまっています。

行政と癒着した規制時代は利益が容易に確保され、それが結果的にドライバーの賃金水準や労働環境を守っていたのです。では、その時代に戻ればいいのか?。ヤマト運輸を追放すれば世の中は良くなるのか?。
問題は、自由競争を認めた時に「競争はルールの中で行う」事を徹底できなかったことです。労基署・警察・国交省(?)等が厳しい監督・徹底した摘発を実施し、劣悪競争でコスト削減する道を塞ぎ、他の道=効率化やサービス内容で競うしかない状態に追い込めば、こんなことにはならなかったはずです。

結局、事前規制や許認可が小さな政府を目指せば目指すほど、事後の監督や社会保障面では大きな政府が必要になります。
業界と癒着して許認可を操る役所の部署や予算は削減できますが、その一方で労基署のスタッフは増員して、悪質な労働環境の押しつけを摘発・解消させる。また、自由な競争は結果として倒産や解雇も生むはずですから、失業者に適切な公的扶助を提供する予算も拡大せざるを得ません。格差が拡大するなら、再分配政策の整備も必要です。民間に介入する「質的」な意味では小さな政府になっても、社会保障予算等の「量的」な意味では大きくなる必要も出てきます。

例えるなら、サーカスの綱渡りのようなものです。綱渡りするピエロには二つの安全対策があります。背中に命綱をつけて転落しないようにする(事前の規制)か、ロープの下にネットを張って保護する(事後の保護)か、です。どちらかは整備(政府が構築)しなければピエロは転落死します。
かつて小泉竹中政権が行ったように、非正規雇用の規制を緩和する。でも、雇用保険の適用拡大など解雇された時のセーフティーネットの整備は(企業側の負担増になるから)行わない。解雇によって職と住居を同時に失う人がどうなるのかも考えない。というのは、「今後、もう命綱はつけません。でもネットも張りません。」と言っている訳で、それがリーマンショック後の激しい社会不安を招きました。

日本は戦後高度成長期に、事前規制に適合するよう企業も行政も、あるいは社会も構築されてきました。事前規制には先に書いたヤマト運輸迫害のような弊害が多々あるのは確かであり、今後も事後型への移行が続くでしょう。でもそれは、決して政府の役割が小さくなるのではなく、役割の果たし方が変わるだけです。
これまで基本的人権の保障を事前規制に頼ってきたので、事後の監督機能は穴だらけです。そんな状況で事前規制や許認可を放棄する場合は、その代わりに存在していなければならない事後的なカバーシステムが本当に存在するのか?、確認して手を打たねばなりません。ネットなしのまま綱を外していけば、今後も死者を増やすばかりです。