水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

失敗とは、取り返すものか、繰り返さないものか

日本人は典型的に後者の考え方ですよね。原爆なんて、自分で落としたわけでもないのに「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と石碑に書いています。バブル経済への対応も然り。90年を頂点とするバブル&崩壊に懲り懲りで、二度と再びバブルを膨らますまい、過ちを二度と繰り返すまい、という意思が国全体に感じられます。
でも、アメリカの振る舞いは全然違う印象です。日本のバブルが“ちゃち”に見える巨大な不動産過剰投資バブルを膨らませ、リーマンショックで世界を恐慌の淵にまで追い詰めたと言うのに、今、ウォールストリートは「元通り」になりつつあるようです。強気の不動産投資を再開とか新たな証券化商品を開発とか、マスコミで見聞きするのは戦闘再開への胎動の数々。
現在の景気の底打ちは、金融緩和と財政出動で支えられた一時的な戻しにすぎず不況の本番はこれからだという予測もあり、彼らの戦闘再開が思惑通り行くのかはわかりません。ただ確かなのは、彼らが示している「損した分は次の機会で取り返すぞ」という強い意思。日本とは対照的です。

振り返ると、ここ10-20年の世界金融の歴史は、頻繁なバブル→バブル崩壊→次のバブルの繰り返しに見えます。ITバブルや今回のサブプライムバブルのように買い上がるバブルもあれば、ポンド危機やアジア通貨危機のように国を相手に売り浴びせる逆バブル(?)もありますが、巨大な波を起こして儲けまくり、波が崩れたり乗り損ねて損害が出ると、また次の波を起こして損を取り返す、取り返すどころか受けた損害の何倍でも儲けを出す。また崩壊すると次の波を探す。その繰り返し。
経済学や金融工学の発達とはうらはらに、波乱の頻度が増加しているようにも思えます。しかも、過去のように経済学への無知から波乱が生じてしまったというより、誰かが意図的に波乱を起こしている気配も。

戦争への対応も似ています。
日本は第二次大戦以降、まだ一度も戦争に直接参加はしていません。まさしく「過ちは繰り返しません」の精神。でも、アメリカは、朝鮮戦争ベトナム戦争に、イラクアフガニスタン。直接参戦せず裏で糸を引いていた戦争を含めると、年中行事のように戦争を繰り返しています。
朝鮮戦争はまだ、第二次大戦に大勝した直後なので強気になるのもわかりますが、朝鮮戦争で「米国史上初の勝てなかった戦争」を、続くベトナムで泥沼悪夢のような「米国史上初の敗戦」を経験したのに。それでも、軍事力を使った介入で自分に都合良い「親米・資本主義・民主主義」政権を作れるはずだ、と思い続けられる不思議。何度失敗しても「次はきっとうまくいく」と思えるのが不思議です。

日本は何かと「問題を先送り」したがる民族です。その背景には「同じような波乱を二度とは繰り返さないように注意するので、長期的な平穏の中で損害を少しづつ償却していけば、いつかは傷も癒えるはず」という、借金を少しづつ地道に返していくような考え方がある気がします。
他方の米国は、今回のリーマンショックへの対応を見ても「矢継ぎ早に手を打って可及的速やかにケリをつける」志向です。その背景には「いつ誰が次の波乱を起こすやも知れず、ノロノロしていたら次の波が来た時に参戦できずに飲み込まれてしまう。大出血を起こしてでも速攻で処置を終わらせて、カウントエイトまでにファイティングポーズ取らねばならない」という考え方。そして「次の波で損を取り返す」意欲。どんな大損害を出しても顔色一つ変えず、次のディールで倍額を張りに行くギャンブラーのようです。

日本がどれだけ嫌がっても、「グローバルスタンダード」とやらは今後もアメリカ流なのだろうなーと思います。ただ、それがグローバルスタンダードだからといって、日本にもそうした金融市場・金融産業を作ることを目指すべきなのかは疑問に思います。
力量がない人間が賭場にいることを「カモ」と呼びます。カモにとって最善の策は賭場に行かないこと。知ったかぶって参加しないこと。今さら「鎖国」とはいかないのでしょうが、札びらが舞ってるのに釣られて不用意にリングに上がると、骨までしゃぶられそうです。
国際金融における波乱や損害の上手なデカップリング方法がないものかなー、と思います。