水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

「格差は問題ではない」と言われてしまうから

年収5000万円と500万円の間には10倍の格差がありますが、私は何の問題もないと思っています。ビジネスで成功した人が、年収5000万だろうが1億だろうが(それが不正不当な利益でなければ)私は気になりません。起業に成功し多くの雇用を生んでくれたのなら、いっそ10億でも構いません。
他方、年収500万円と200万円の間には2.5倍の格差しかありませんが、こちらは良くないことだと思います。年収200万円は「貧困」にあたると思うからです。
上がどれだけ上に伸びて格差が拡がっても、それは構いません。問題は下です。言葉を換えれば、問題は「格差」ではなく「貧困」だということです。
多くの人は、そんなの当たり前だと思うかもしれません。自分たちが問題視しているのは、当然下方の格差のことなんだから、貧困と言う言葉を使っても格差という言葉を使っても意味は変わらない、と。しかし、「格差が良くない」「格差反対」という言葉が広まることで、例えば竹中平蔵氏が好んで引用する「金持ちを貧乏人にしたところで、貧乏人が金持ちになるわけではない」のような言葉に付け入る隙を与えている気がします。
この元英国首相サッチャーさんの言葉は、確かにおっしゃる通りです。しかし、それと「貧困を放置して構わないのか?」というのは全く別の問題です。けれども、竹中氏は非常に弁舌が巧みなので「(広がりと言う意味での)格差に罪はない。金持ちをバッシングしても意味はない。」という話が、いつのまにか「格差を問題視するのがおかしい。」→「(貧困という意味で)格差はやむを得ない。」という方向へ、話がすり替えられてしまいます。その結果「格差格差と騒ぎ立てるのは間違いだ」と「納得」する人が増えてしまいます。
我々は金持ちバッシングがしたいのでなく貧困を救済すべきだと言っているのだ。格差に問題がなくても貧困は問題だ、と明確化すべきだと思います。


何故、「格差」という言葉が多く使われるのでしょうか?。
派遣村」の湯浅誠氏のように、団体名「反貧困ネットワーク」や著書「反貧困―『すべり台社会』からの脱出」など「貧困」という言葉を前面に出す方もいらっしゃいますが、世間やメディアの多くは「格差」という言葉を愛用しているように見えます。
一つには、「格差」という言葉が最近注目された新しい言葉で印象的でブーム化しているから、ということもあると思います。
その一方、日本人が「貧困」という言葉を使うのを躊躇っているのではないかと言う気もします。「格差」よりも直接的、具体的で、悲惨な印象が強い言葉。その悲惨さから、できれば目を逸らしたいという無意識の作用。そこまで日本は堕ちていないはずだ。堕ちていないでほしい、という願望の表れではないかと。

米貧困率、11年ぶり高水準=景気後退の影響如実

目を逸らしたいのは国民だけでなく日本政府も同じなのでしょう。日本以外の先進国の多くは「貧困」とはどういう所得水準かを定義して、国民の貧困率を測定しています。インフレ率を正しく知ることが金融政策を決める上で必須なように、社会保障政策をまともに考えるには貧困率が必要です。しかし日本は、貧困を定義も測定もしていません。だから、政府として日本人が今どれほど「貧困」なのか知らずにすんでいます。知らなければ政策を考える必要に迫られませんから。

ご親切にもOECDが、日本政府に代わって我が国の貧困率を測定してくれています。
それによると、2000年代半ばの日本の貧困率は14.9%でメキシコ、トルコ、アメリカ(17.1%)に次いでOECDワースト4位。とりわけ一人親家庭貧困率は59%に上るのだそうです。ちなみにOECD貧困率の基準は「年収が国民の年収の中央値の50%未満」というものです。
統計が整備されている日本では、貧困率は定義さえ決めれば簡単に測定することができます。「平成20年国民生活基礎調査」によると、世帯所得の中央値は448万円。OECD流にその50%を基準とすれば224万円がボーダーとなります。所得分布を見ると、年収100万未満が5.9%、200万円未満が12.6%。従って貧困率は少なくとも18.5%以上、200〜224万未満を含めれば20%を超えるでしょう。世帯数で五分の一強が貧困というわけです。

平成20年国民生活基礎調査/所得の分布状況

格差という"広がり"ではなく、貧困という"苦しみ"がこれだけ存在する、という事実を直視すべきだと思います。


貧困について調べたら、もう一つ知りたくない事実が表示されていました。上記厚労省のデータで表6を見ると、過去わずか9年で世帯年収の中央値が544万(平成10年)→448万(平成19年)と100万近くも低下しています。はぁ…(ため息)。40年後には、日本人の所得は全員ゼロになる計算です。支える政策だけでなく成長する政策を早急に模索しないと、日本は早晩「共倒れ」になりそうな気配ですね。