水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

お祭りテレビ

半沢直樹のドコがスゴイかの分析は他の方に任せて、私は「テレビの非日常化という印象」について書きます。
受像機の普及とともに長らくお茶の間の日常に君臨していたテレビが、ケ(日常)からハレ(祭)へ、「普段見るテレビ」から「祭りに見るテレビ」へ変わりつつあるのかなという話です。

サッカーから始まる

世紀が変わるころ、テレビに新たな「祝祭」をもたらしたのがサッカーワールドカップ日本代表戦です。2002年日韓大会・日本VSロシア戦の平均視聴率は66.1%で歴代高視聴率ランキング3位。2位=1964年東京五輪女子バレーと、4位=1963年プロレス力道山戦の間ですよ。
お祭りと言うのは、その時・その場所に集まって祈ったり祝ったりするのが本来なので、W杯の祝祭に参加する正しい方法は「スタジアムに行く」です。でも、国民全員が入れるスタジアムはないので、行けない人は何とか祭りに近づこうと努力します。パブリックビューイングで盛り上がるとか、渋谷近辺の店でモニター観戦し、試合終了後にあちこちの店から人が集まってきてスクランブル交差点で騒ぐとか。
テレビで見るときも、自分が見ることでなくみんなで一緒に応援していることが根底なので、日本チームがゴールを決めて近所の家から歓声が聞こえてくると嬉しい、みたいな。

で、twitterハッシュタグニコニコ動画のコメントが、渋谷のスクランブル交差点をディスプレイの中に持ち込んでくれました。その場所にいなくても、一緒にいられる技術。

祭りが呼ぶ数字

天空の城ラピュタは素晴らしい映画ですが、さすがにみんな十分見たでしょう。それでも今年、視聴率がチョイ上げしました。その原動力がバルスツイートなら、「ラピュタを見てバルスと呟く」というより「みんなでバルスと呟く祭りに参加するためにラピュタを見ている」わけです。それぞれの家で一人で見ていても「みんなと一緒でいられる」バルス

でも、非日常は日常的には起こらない

家政婦のミタ」と「半沢直樹」は、そうしたテレビ祝祭化の波がドラマにも押し寄せている結果に思えます。ハッシュタグツイートも、さぞ盛り上がったでしょう。最終回平均視聴率42.2%を、テレビ業界の人たちは歓迎しているようです。「社会のテレビ離れなんて嘘。本当に良い作品を作れば評価され、数字も取れる」と。でも私は、42.2%は高すぎないか考えます。

ビデオリサーチがオンライン調査を開始(関東77年9月/関西80年3月)して以降、関東は民放連ドラ史上4位、関西は同1位の記録となった。 (デイリースポーツonline 2013年9月24日付け)

http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/09/24/1p_0006363552.shtml

テレビ全般の視聴率が下がる中で突出して42.2%とるのは、日常ではなく非日常=祝祭の数字ではないか。ワールドカップ日本代表戦のように。私たちも生活があるので、年中「祭りだウェー」とも騒いでられませんし、ハッシュタグが盛り上がるテレビ以外の祭りもあります(というかテレビ以外が主です)。祝祭がテレビに降臨するのは、ごく稀にならざるを得ません。
テレビ局にとってスポンサーからお金を巻き上げるには、多くの番組が視聴率25%とるのが理想でしょうが、現実は「祝祭に選ばれた希少な番組は視聴率50%で、それ以外ほとんどのケ(日常)の番組は5%」に向かっているのでは?と想像しています。お祭りの日の神社の喧騒と、そうでない日の静かな境内くらいの落差で。

2020年のポストtwitter

さてさて、オリンピックが東京に来るそうですよ。2020年、自国開催。祝祭そのものと言えるコンテンツですから、テレビ局はさぞお喜びでしょう。
この時、いったいどんな技術が祝祭を盛り上げるのでしょう。新国立競技場に行けなくても、テレビで見ていても「みんなで・その時・その場所」にいる感覚を与えてくれるのでしょう。バルスツイートは元々2ちゃんねるで流行っていたものがtwitterに来たものでした。技術の変化は速いので、七年後にはtwitterよりスゴイ新しい何かが生まれているかもしれません。
それを生み出すことが出来れば、その企業は大儲けできると思うのですが…。重要なのは、8Kテレビ…ではない気がします。