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水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

いつか、日本からノーベル賞受賞者が出ればいいなと思う

などと言えば、「いやいやいや、受賞者たくさん出てますやん」と突っ込みが入るかもしれません。今年もお二人、生理学医学賞の大村智氏と、物理学賞の梶田隆章氏。そして昨年もお二人、共に物理学賞の赤粼勇氏と天野浩氏。アメリカ国籍の中村修二氏もカウントすれば同年の物理学賞三人独占です。wikipediaによれば、「日本は21世紀以降、自然科学部門で米国に続いて世界第二位の受賞者数を誇る」そうです。スゴイ。

「日本から」のノーベル賞受賞にはタイプが三つあると思います。
タイプAは、日本の組織に所属する日本人の受賞。2012年に生理学医学賞を受賞された京大教授の山中伸弥氏や、2002年に化学賞を受賞された島津製作所田中耕一氏のパターン。タイプBは、海外の組織に所属する日本人。1987年に生理学医学賞を受賞されたマサチューセッツ工科大教授の利根川進氏や、2010年に化学賞を受賞されたパデュー大学教授の根岸英一氏のパターン。
最後に残っている未達成のタイプCは、日本の組織に所属する外国人の受賞です。これがあると、日本の研究機関が世界トップの人材を集めていると立証されて、カッコいい。アメリカの受賞なんて、ガイジンだらけですからね。あそこまでは無理としても、一人二人は、なんとかならないものかと。

ノーベル賞を獲った人でなく、獲る人

そうはいっても資金に劣る日本の大学が、ノーベル賞受賞などといったスター研究者を雇えるのかと言えば、無理だろうと思います。でも、獲った人でなく、将来獲る人なら、どうでしょう。
例えば、先に挙げた利根川進氏は、87年のノーベル賞受賞時点ではMIT教授でしたが、受賞理由となった「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」がMITでなされたわけではありません。
日経新聞の「私の履歴書」2013年10月が利根川氏だったのですが、その話をかいつまむと以下のようになります。

1968年にカリフォルニア大学サンディエゴ校で博士号取得し、ポスドクは同校のすぐ隣にあるソーク研究所で69年から一年半ほど修行します。そこで所属研究室のダルベッコ先生(1975年ノーベル生理学医学賞受賞)から「スイスのバーゼルに免疫学の新しい研究所が出来た」と薦められます。免疫学については何も知らない利根川氏は「免疫学に進むつもりはない」と一度は伝えますが、「免疫学は面白くなると思うが、残念」と言われ、先生の大局観を信じてギャンブルと割り切って進路を決めます。
バーゼル免疫学研究所は、スイスの製薬会社ホフマン・ラ・ロシュが作った、当時研究者150人ほどのこじんまりした研究所で、現在はもうありません。
ここで免疫学について学び、「抗体の多様性」が未解決問題と知ります。当時「生殖細胞系列説」と「体細胞変異説」が争っていましたが、利根川氏の目には「どちらも根拠となる実験データに乏しく、ずいぶん不毛な議論をしているなぁ」と映り、自分が持つ分子生物学の手法を入れれば解決できるのではと考えます。そこから当初任期二年+延長一年かけますが、成果がなかなか出ません。ヤーネ所長(1984年ノーベル生理学医学賞受賞)は任期再延長を認めず、利根川氏も「成果はほとんど論文になっておらず、もっともな判断」と言いつつ、研究室の鍵の返還要求を無視して、二か月間給与振り込みなしのまま居座って研究を続行。他の研究員が掛け合ってくれてなんとか任期再延長を得ます。
ようやく体細胞変異説を支持するデータが明らかになり、1976年、最初の論文を発表。同年の夏、アメリカのコールド・スプリング・ハーバー研究所が開くシンポジウムに最終講演者として招待されます。持ち時間20分を使い切り司会者が打ち切ろうとすると、ワトソン所長(1962年ノーベル生理学医学賞受賞)から「重要な話だ、続けさせろ」と声がかかり、一時間ほど存分に発表。質疑の後に拍手が沸き起こった、そうです。
以降、「ネイチャー」「サイエンス」「セル」誌に毎年数本の論文を掲載。任期はパーマネント(永年)になり、研究室は地下の片隅から研究所全体の四分の一に拡大。予算もふんだんに。
やがてコロンビア大・ハーバード大・MITほか複数の大学から教授職のオファーがあり、その中から選んだMITで81年9月、教授に就任します。ノーベル賞は、この76年からのバーゼル研時代の論文を対象に出されたものです。

MITは無理でも、バーゼル研の役割なら、日本でなんとかならないものでしょうか。

日本は、ノーベル賞の踏み台になれるか

将来、いつかタイ人やベトナム人のノーベル賞受賞者が出た時(共に自然科学での受賞はまだ無し)、受賞時点での肩書はスタンフォード大やシカゴ大の教授でも、実は受賞対象となった研究自体はニッポンの東工大時代に、あるいは阪大時代に出したものだ。なんてなったら、超クールではないですか? 優秀な若手外国人研究者の存在は周りの日本人研究者にも刺激となって、先に挙げたタイプAの増加にも貢献し、決して損な話ではないと思います。

とはいえ、今となってはシンガポールや中国の大学と取り合いで、アジアの中でも若手でも、優秀な研究者の雇用は日本の予算では難しいのかもしれませんが。武田薬品とか、民間企業研究機関に外国人研究員はどれくらいいるのかなぁ、その中の誰か(米にヘッドハントされた後でもいいので)獲らないかなぁ、などと妄想する、授賞式の夜でした。


大村先生、梶田先生。ノーベル賞受賞、おめでとうございます。

参考資料

日本経済新聞私の履歴書」2013年10月分の各日記事

wikipedia:国別のノーベル賞受賞者

調べたら、利根川氏の履歴についてネットにも同様の記事がありました→JT生命誌研究館「生命を分子の言葉で語るために」利根川進