水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

子供と鰯と市長

小さな子供の行動は、危なっかしくて大人がビビることがあります。いきなり道路に飛び出すし、親とはぐれて迷子になるし、小学生くらいで何針も縫うケガしたり骨折したり。現代社会だから無事で済んでいますが、ヒトがサルだった頃なら生命の危機に直結しかねません。私は大人しい子供でしたが、それでも小学生頃の自転車の走らせ方を思い出すと「よく事故に遭わなかったなぁ」と、今さらゾッとしたりします。
子供は好奇心旺盛で夢中になり注意力が散漫だからなどと言われますが、「生存」という目標を考えれば小さな子供ほど臆病で慎重に行動し、経験や知識のついた大人ほど行動が大胆になる方が合理的です。なぜ子供は無謀なのか?。
これは私の勝手な憶測ですが、子供は自分の命を重要視していないのではないかと考えたりします。鰯の大群を見ると、重要なのは群れが存続する事で個体の命に大した価値はありません。どれかの個体が生き残れば他の個体は死んで構わないシステムになっています。人間は鰯ほど多産多死ではありませんが、それでも少し歴史をさかのぼれば一人の女性が五人、七人の子供を生むことが当たり前で、種の存続的にはその内二、三人が生き残れば良いので産んだ半分は死んで構わない、というかマクロ的には半分死ぬようになっています。
小さな子供はリスクに突っ込みながら、自分が「生き残る半分」か「死ぬ半分」なのかを試している、または挑戦しているように見えます。そうすることで、リスクを乗り越えたより優秀な遺伝子を持つ半数が選別されます。もちろん、それは自覚的な行動ではなく遺伝子の命令にビークルが踊らされているわけですが。しかし、現代では一人の女性が産む子供の数は一人か二人になっていて、歩留まり100%で生存してもらわないと困るので「道路に飛び出しちゃダメって言ってるでしょ!」というママの金切り声が今日も響きわたることになります。
大人になってリスクを乗り越える知識が付いたのに行動がむしろ保守的で慎重臆病になるのは、20年程度生存した段階で命の選別は終了し、その時点で生き残っている個体は次の子供を作る使命を帯びるからかもしれません。大人になると守りに入るようプログラムされているから、もう冒険は卒業する訳です。

女性が時に未熟で無責任な「ダメ男」を好きになってしまうのは、ダメ男と言うのは大人になってもまだ子供と同様なハイリスク行動を続けている個体で、それが「子供を守ってあげたい」という母性本能の誤作動を招いているのかもしれません。
一方で、野望を抱いて起業に挑戦するような人物もまた、大人になってもハイリスク行動を続けている個体かもしれません。破滅的なダメ男と意欲的な挑戦者は、正反対のようで意外に近い存在なのかもしれません。

何でこんなことを書いているのかと言えば、大阪市長に当選した橋下氏の熱い熱い会見です。
彼の政治がどんな結果を生むのかは、まだわかりません。道路に飛び出すだけの危ない行動なのか、国と地方の関係を抜本的に変革させる大きな波になるのか。ただ彼の熱さを見ていると、もしかして橋下氏は「本気出せば、かめはめ波出せる」と信じてるんじゃないか?な子供のように見えます。
ともあれ、大阪市民は(同時選挙の府民も)政治を大きく変えようとする道を選びました。中央政府霞が関、府や市に巣食う既得権グループはベジータフリーザ・セルが手を組んだくらいの強さがあると思いますが、果たしてかめはめ波は出るのか?。橋下氏の政策自体が魔人ブウにならないか。楽しみに待ちたいと思います。
(願わくば、ライブドアの時のようにある日突然、検察が降臨して何もかもぶち壊しにしない事を。)