水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

原発停止で考える、地方分権のメリット

6月29日に佐賀県の古川知事が「安全性の確認はクリアできた」として玄海原発の再稼働に賛成した時、福井県の西川知事は県内各原発の再稼働に否定的な見解でした。この時は日本国内に、首長の判断によって原発再稼働する地方としない地方の差が出る可能性がありました。その後、菅総理が「みんなストレステストしないとダメだもんねー」と言いだしたため選択の余地は無くなり、全国一律で停止することになりました。
ここで、私は地方分権の必要を強く感じます。

あの時総理が「中央集権」を発動させていなければ、この夏、近畿では電力が不足するが九州では不足しないと言う差異が生じた可能性があります。そうなれば、関東や東北の企業は、電力に余裕の見込める九州に生産や拠点をシフトさせて、近畿には行かないと言う選択が可能でした。九州のGDPだけが他地方よりも成長し失業率が下がるのを目の当たりにすれば、(中長期はともかく短期的には)今ある原発を動かして経済を支える重要性が認識されたかもしれません。
全国一律に原発が動かせず全国的に電力供給能力の低下が見込まれるため、企業は海外に出ていくしかありません。全国的にジワジワ経済が悪化しても、その原因が原発停止なのかそれ以外にあるのかは判別できず、原因が分からないので原発再稼働が打開策だとも分かりません。
原発を稼働させる事が正しいと主張しているのではありません。橋下大阪府知事の大声のもと近畿で一早く脱原発が進むのであれば、幼い我が子の安全を第一に考える若い夫婦がこぞって近畿に移住してくるかもしれません。人口構成が若返り、労働人口の減少に歯止めのかかった近畿は経済成長を始めるかもしれません。電力が不足しているのに経済成長なんてするはずないと言う人もいるでしょうが、現に中国では日本より深刻に電力が不足し至る所で輪番停電が実施されていますが、4-6月期GDPは前年比9.5%も成長しています。
人口構成の重要性がわかれば、子ども手当に反対する政党はなくなるかもしれません。移民を入れてでも労働人口を維持すべきと言う意見が支持を集めるかもしれません。

日本ではとかく、「こういった大事な問題は、国がキチンと方針を決めて、ちゃんとやるべき」と言われますが、この意見の致命的な欠点は「国(中央政府)は最善の選択をする」ことが前提になっている点です。国の決定が一番「キチンとしたもの」だと期待するのは大間違いです。これは別に菅政権を批判しているのではなく、歴代の自民党政権も同じ事です。
明治維新期や戦後期のように「欧米へのキャッチアップ」という単純明快な正解がある時代には、中央集権で方針を決めて全国一律の施策というのが有利だったのでしょうが、現在のように何が正解かわからない時代には、むしろ大事な事こそ判断を分けることがリスク分散の観点から必要ではないでしょうか。全財産を一つの銘柄に投資してはいけないのです。

地方分権を進め、政策にバラツキを認める最大の利点は、バラツキのどちらが正しかったかの優劣を比較できる事です。
原発のリスクを背負いつつ電力供給を安定化させる事が、企業活動を活発化させるのかさせないのか。子育て支援を充実させた地方の出生率や女性の労働化率が、しない地方に比べどの程度改善するのか。農業に市場原理・競争・企業参入の自由を導入した地方で、農業は活性化し強化されるのかしないのか?。混合診療を自由化する事が医療にどのような改善をもたらし、どのような弊害をもたらすのか?。所得が増えると増加分が丸々相殺されるような生活保護の給付の仕方を改めれば、労働意欲がどの程度喚起されるのか。解雇規制の撤廃が、むしろ企業の雇用意欲を刺激するのか、そうでもないのか。教科書を分厚くして難易度を上げた地方から東大京大に進学する生徒は増えるのか?、落ちこぼれが増加してむしろ学校が荒廃するのか?、あるいはその両方が生じるのか?。
いずれも、どこかの地方が取り組めば、その効果の有無や弊害を全国の人が知る事が出来ます。

政策を分けてリスクを分散する事は、同時にリターンを分散(低下)させることでもあります。複数の政策のうち一方が正解なら他方は間違いなので、間違いを選択した地方は社会的経済的に損失を受ける事になります。しかし、地方分権を進めて地方ごとに異なった政策を実施しうる自由を認める事が、政策の「市場」を生みます。
私たちが店を回って商品を見比べるように、政策Aを実施した地方と政策Bを選んだ地方のパフォーマンスを比較する事で政策の優劣が見極められ、より良い政策に買い手が集まるのです。最初は間違えた政策を選んでも、比較する事で判断を速やかに訂正し、有権者の投票によって正しい政策へと変更させる事が出来ます。

政治家や官僚は自らの非を決して認めないので、政策に過ちがあっても自ら正す事はありません。しかも、霞が関や永田町で全国一律に政策が決定されると全国全てがその政策に従うため、私たちは「ある政策を選んだ日本」と「違う政策を選んだ日本」を見比べる事が出来ません。違う政策を選んだ日本が、現実の私たちよりマシなのか、もっとヒドイのか比較できないので、政策の優劣や是非を認知することができず、過ちを正すことができません。

現在の日本は、「追い詰められて、政策を選択できない」状況にあるように思えます。失敗をする余力が無いので、何か大きな政策を実施する場合には絶対に正しい政策でなければ許されないという強迫観念があり、それ故に「そんな政策は間違っている」という反論が必ず出され、結果右にも左にも、何も思い切った政策が出せないでいるのです。
日本全体を一つの政策に賭けることは怖くてできなくても、ある地方だけならどうでしょう。ある政策を実施して九州経済が悪化しても、他の地方はそれを見て被害を避ける事が出来ます。近畿で成果を上げた政策があれば、他の地方も安心して真似る事が出来ます。
既得権益を守りたがる政治家や官僚が好んで使う言い訳、「まぁそういう政策は、北欧の人口が少ない国ならできるけど日本では…」とか「アメリカとは国民性の違いもあるので、日本ではどうかな…」といった逃げ道も、同じ日本の中で政策を比較すれば使えません。

自民党の政治にうんざりして見切りをつけ、政権交代を実施して民主党を選んだのに、ちっとも日本は良くならなかった。この後、もう一度自民党に戻すのか、みんなの党かどこかを政権党に育てるのか?。
もう一つの選択肢は、政党の選択ではなく、永田町から権力をはく奪し、霞が関から予算を取り上げ、地方分権を進める事かも知れません。