水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

男女差別の原因は高度成長期では?

日本で男女平等がなかなか実現しない、欧米並みに改善されないと言う嘆きに対し「欧米と日本では歴史が全く違うから仕方がない」という声を聞く事があります。ここで言う「歴史の相違」が何を指しているか明らかではありませんが、何となく「民主主義の蓄積の差」というニュアンスな気もします。
日本で近代的な民主政治が始まったのは1868年の明治維新。対して英国で名誉革命が起きたのは1688年で権利の章典が発布されたのが翌1689年。フランス革命が起きたのは1789年で1792年に第一共和政が成立しています。民主主義のスタート地点にざっと100-200年の出遅れがあるため差を埋めるのは難しく、今日に至るまで完全には追いつけないのもやむを得ない、というニュアンスです。イメージにすると下記の通り。

ここでは、民主主義の歴史と男女平等の進展は、おおむねパラレルという前提になっています。でもそこには疑問があります。欧米での男女平等の歴史は、民主主義ほど長い蓄積の結果なのでしょうか?。

欧米といっても多くの国があるので、ここではフランスを取り上げてみます。近年、出生率の上昇を実現しており、2009年の出生率1.99は欧米でもトップ水準です(日本は2009年1.37)。女性の労働と育児が両立できている手本と言われることもありつつ、北欧諸国ほどには平等先進国ではないという評価もあります。世界経済フォーラムが発表している、gender gap ranking2010では46位。日本の94位よりはずっと上ですが、Norway(2位)やFinland(3位)に比べれば遥かに下、Greece(58位)、Italy(74位)よりは上位という国です。

フランス革命の時代、1789年に発せられた「人権宣言」の対象に、女性は含まれていません。1804年に作られたナポレオン法典は男尊女卑の塊のような法律でした。「妻はその夫に服従義務を負う」と明記されて家長の権限は絶大。妻に法的権限は何もなく夫に管理されるモノ扱いです。更にカトリックの倫理観が追い打ちをかけ、離婚も避妊も中絶もできません。避妊に関する知識を啓発することも違法とされ、そうした価値観がずっとフランス女性を拘束し続けます。

例えばフランスで法的に離婚が可能になったのは1884年(明治17年相当)です。日本では、江戸時代でも「三くだり半」で離縁する事ができました。それも、高木侃氏らの文献によると、離婚は恥でもタブーでもなく女性の経済力も強く、タテマエ上は夫が妻につきつけたようになっていても、実際は妻が書かせたケースも多々あること。明治前期の離婚率は約4%もあって現代(約2%)より高いことも知られています。フランスなんかより、遥かに進歩的な社会です。

ナポレオン時代以来長らく、フランスでは妻の給与は夫の財産であり、妻が自分で使えるようになったのは1907年の法改正からです。また、1965年に「妻は夫の同意なしに職業に従事する権利を有する」という条文ができるまで、既婚女性の就職には夫の承諾が必要でした。昭和40年の日本は男は仕事・女は家庭全盛期なので、妻が就職するのを渋る夫も多かったでしょう。でも、法的な規制はありません。
フランスで相続に関して嫡出・非嫡出の不平等が是正されたのは1972年。姦通罪が廃止されたのは1975年(日本は1947年廃止…まぁこれはGHQのおかげですが)。協議離婚が可能になったのも1975年。同じく1975年までフランスには、夫が夫婦の居住地を定める「居住地選択権」が法的に認められていました。妻には住む場所を決める権利が無かったのです。怖〜い。

カトリックによる抑圧が酷い避妊・中絶に関する歴史は壮観です。
1960年に産児制限を訴える家族計画協会が設立されますが、当時は非合法団体。大きな前進があったのは67年のニューウィルト法によるピル解禁です。時代はまさに68年五月革命による反体制運動・政策転換期にあたります。宗教の呪縛を打破して、女性自身が妊娠の是非を決める自己決定権が確立されました。70年にペイレ法で、母子に危険がある場合に限り中絶が合法化。71年にNouvel Obsevateur誌でカトリーヌ・ドヌーブら著名人を含む「私は堕胎した。343名の署名宣言」という非合法中絶の蔓延と危険性を訴える記事が掲載されます。72年、強姦されて妊娠した17歳の少女の中絶が罪に問われた裁判が社会問題化し、判決は無罪。そして遂に75年、国会内で「お前はナチだ」「人殺し」だのという怒号が飛び交う中、ヴェイユ法が可決。時限立法ながら中絶が合法化されます(79年に恒久法化されました)。ちなみに日本が優生保護法の経済的事由による中絶を合法化したのは1949年ですから、30年日本の方が進んでいます。

こうして見ると、江戸明治期でもあるいは第二次大戦終結期で見ても日仏に大差は無く、日本の方が進んでいた側面も少なからずあるように思えます。
急激に差が開いたのは1960-70年代。上の記述を見て分かるように、フランスはこの時代に急激に、劇的にと言っていいほど女性の権利確立や男女平等の取り組みを進めています。フランスでは1972年に廃止された嫡出・非嫡出差別は、日本ではいまだ解消されていません。ピル解禁は1967年対日本は1999年。ここで30年の差が付いています。
男女差別の差は民主主義数百年の歴史の差ではなく、ごく最近の取り組みの差なのです。イメージにすると下記の通り。

60-70年代に日本が何をしていたかといえば、それは高度成長期まっしぐらでした。男を100%労働投入に専念させるため、家事育児などの雑事はすべて女が担うように社会制度を構築していきました。この時期の青線をやや右下がりに書いたのは、労務制度のみならず税制なども総動員して「女は20代半ばになったら寿退社するもの」という専業主婦強要を推進した事を示したものです。専業主婦なんて、長い歴史の中で登場したのはほんの短期間ですからね。

正直、高度成長期の最中は、経済的に成功している最中に男尊女卑的男女分業システムを放棄するのは困難だっただろうとは思います。ただ、80年代以降、例えばフランスではAFEAMA(公認保育ママ雇用助成金)・AGED(在宅保育手当)・APE(育児休業手当)・AJE(乳幼児受け入れ手当)など子育て期間中の女性の就労を支援する、現代的な家族政策を順次整備していた時期に、他の欧米諸国でも同様の動きが進んでいた時に、日本は86年の男女雇用機会均等法と92年の育児休業法など、散発的でスローな対応に終始したことは残念でなりません。結局、ここが現在の彼我の差を生んでいるのですから。

対応が後手後手に回ったのは、高度成長期の栄光が忘れられない世代、女は家庭で男は終身雇用・年功序列社会を維持すれば懐かしい日々が戻ってくるのではないかという妄想に取りつかれている人々が、「日本人らしい家庭像」などといった勝手な規範を押しつけて、女性の社会進出や就労と育児の両立を阻止したいと考えているからです。その代表格が、60歳以上がウヨウヨしている国会議員でしょう。家庭科を男女共修にするという簡単な取り組みさえ、70年代から要望があったのに、実現するのに93-94年まで要しています。遅延行為も甚だしいと言わざるをえません。
「欧米と日本では歴史が全く違うから仕方がない」というのは、取り組みの遅さを正当化する原因のすり替えではないかと思います。

参考 「なぜフランスでは子どもが増えるのか -フランス女性のライフスタイル (講談社現代新書)」中島さおり 「フランス 恋愛の歴史」 「女性の地位の確立過程」 「年表:フランスにおける生殖の倫理史」