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水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

自殺する自由と売春

思想信条の自由があるのに、自分の死期を決める自由が無い。基本的人権が保障され、奴隷的な拘束や拷問が禁止されているのに耐え難い苦痛があっても自ら生を終わらせて死を選ぶ権利は無い。これは不思議な気がします。何故自殺する自由は認められないのでしょうか?。自殺は良くない事だからとか道徳的倫理的に認められないというのは循環的で、何故自殺が倫理的に悪なのか?、他人に害をなしていないのに何故本人の勝手と認められないのかという疑問になります。

自殺が認められない重要な理由は、それが本当に自発的な自殺か、実は自殺させられているのか区分が困難だから、という事があるように思えます。
高齢者が自殺した時、「もう十分生きて満足した」からなのか、「介護が家族の経済的肉体的な負担となっていて、その家族から『もう早く死んでほしい』と思われている事に耐えかねて」なのか判別できない。病気や障害を抱える人の自殺も同様です。また、事業に失敗した人の自殺が世をはかなんでの死か、生命保険で借金を清算しろと強要されたのか判別できない。そんな問題です。
自発と非自発を区別できない+自殺したがる人なんかそう多くいないはずという推測から、自殺する人の多くは何らかの事情で周囲から自殺するよう圧力をかけられている恐れが大と判断され、結果、全ての自殺を認めないのが倫理的=合理的という結論に至ります。

これって、売春に似ています。
本来、売春で金を稼ぎたい女性がいて、一方に金を払って欲望を充足させたい男性がいて、双方が同意して売買契約をするのは何ら問題は無いはずです。それが禁止されているのは、売春が実際には非自発的売春の巣窟だからに他なりません。かつての吉原遊郭が人身売買と辞めたくても辞めさせてもらえない実質的奴隷労働の場であったように、現在においても何らかの事情で経済的苦境にある女性が、露骨な拘束か遠回しな圧力かは別として、売春を強要されているケースが多々ある。その女性が、ヴィトンのバックを手っ取り早く手に入れる手段として売春している女子高生なのか、職を失い生活に困窮し借金を重ねたシングルマザーなのか一例一例判断するのが難しい。だから、全ての売春を禁止するのが倫理的=合理的だという結論に至ります。
現在の売春防止法が、第3条で「何人も、売春をし、又はその相手方となつてはならない。」と売春禁止を明示しながらそこには罰則が無く、他方で場所の提供(第11条・7年以下の懲役)、売春をさせる業(第12条・10年以下の懲役)、資金等の提供(第13条・7年以下の懲役)に厳しい罰則があるのは、売春「させられている人」は概ね被害者で、「させている側」こそが加害者だという配慮があります。

殺すべからず、盗むべからず、姦淫するべからず、といった倫理には「被害者を出さないことが社会の利益になる」という基本があり、加害行為を悪だと非難することで社会的な損失を回避しようとしています。自殺や売春には加害性はありませんが、表面的には自分自身の行為でも実は非自発的なもので背後に見えない加害者がいる。だから、阻止を確実なものにするために、殺す、姦淫する側だけでなく自殺する売春する側も非倫理的だと断じているのでしょう。
社会が発達した現在、非自発性を排除出来れば、自発的な自殺と売春は容認されるべきだとも言えます。それについては後編で。