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水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

「0ではない」過大評価の罠

新型インフルエンザのワクチンを接種させようと、親たちが幼い我が子を連れて病院に殺到しています。新型インフルエンザの推定患者数は1000万人を超えていますが、死者数は11月末現在わずか82人。死亡率は10万分の0.8という驚くべき低率です。これほど「安全な」病気のために何故ワクチンを打つのかと問えば、親たちは「死者が出ているのだから危険だ。死亡率は0ではない」と言います。
ところが、この親たちの中には今まで季節性インフルエンザのワクチンは子供に接種させてこなかった人が大勢います。季節性インフルエンザの死亡率は10万分の50〜100。死亡率が50倍以上高い病気のワクチンを接種せず、より安全な病気のワクチンを求めて病院に殺到するのは矛盾しています。
この矛盾はどこから生じるのでしょう。まず、季節性インフルエンザで年5000人以上死んでいる*1事実を知らない、ということがあります。その上で季節性インフルエンザについては(統計的には死者がいるのだろうが)自身の経験上(=子供の頃の自分自身や学校の友達、家族、近所の人)インフルエンザで死んだ人なんか一人もいないという知識が優先されて、ワクチン不要だと判断されています。他方、新型は新型だから自身の過去や経験は適用できないと考え、マスコミ報道から「死者がたくさん出ている」という情報が強調され、たとえ10万分の1未満でも「0ではない」という結論になります。

一方では自身の限られた経験から死亡リスクは無いと判定されたり、他方では10万分の1未満のリスクが重く受け取られたりする。その原因は「人は、小さすぎる数値を実感として正しく理解できない」のではないかと思います。
例えば国の借金が900兆円といわれても大き過ぎて実感できません。同様に、小さな数字も、その意味を正しく受け止められるのは10分の1とか20分の1程度までで、100分の1以下の桁は頭の中で「あり」か「なし」かに乱暴に二分されているのではないか。そう思うのです。
だから、身近に死者がいない=なし、10万分の1は0ではない正の数字だ=あり、という逆転・矛盾が生じるのではないかと。

この『「0ではない」過大評価の罠』を利用している商売が宝くじだと思います。年末ジャンボ宝くじで1等に当選するくじ券は10,000,000枚中の1枚、つまり確率1000万分の1ですよね。これは、極めて、限りなく、殆ど、ことごとく0ですが、人は「あり」に判別します。「1/10,000,000」という把握不可能な数字より、「1等当せんが70本出る」という把握できる数字の方で物事を判断するのだと思います。インフルエンザも死亡率が10万分の50か0.8かよりも、「近所に死んだ人なんかいない」か「ニュースを見ると死者が出いる」という情報が判断の根拠になってしまいます。

で何が言いたいかと言うと、唐突に話が変わるのですが、銀行預金の金利を0にするのはどうでしょうか。
現在、銀行預金の金利は実質0です。でも、これも「0.040%は0ではない」という過大評価の罠が働き、「0じゃない以上金利は『あり』だから預金する方がいい」という預金促進効果が発生してしまいます。
デフレ克服のため、消費を促進するために「マイナス金利」を導入してはどうかという意見を読む事があります。預金すると金を取られると言う革命的なアイデアです。それも一つの案だとは思うのですが、そうした革命的手段に訴える前に、まず金利を「0」にして、現状の「殆ど0だけど、でも0ではない」罠から解放してみるのはいかがでしょう。預けておいても利息は一切つかない、つまり先ほどの「あり・なし」で言えば「なし」になるわけです。これは意外に人々の行動を変えるのではないでしょうか。もちろん、デフレが進行している状況では、名目金利を0にしても実質金利がプラスになっている(=お金を置いておくだけで実質価値は増えていく)という指摘はあるでしょうが、世間がみんなそこまで考えて行動している訳ではなく、先ほど言った「あり」→「なし」という変化の感情的効果は小さくない気がします。

*1:超過死亡概念による数値