水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

遠ざかっていく工場

先日、テレビ東京WBSで格安ジーンズの話が出ていて「UNIQLOのジーンズは中国製。g.u.の980円ジーンズはカンボジア製。西友の850円ジーンズはバングラデッシュ製。」だと紹介されていました。
こういう話を聞くと、製造業で新興国とコスト競争する不可能さと言うか、低賃金を我慢してでも製造業の流出を止めようとすることの無理さ加減を感じます。昨日も書きましたが、JETROのデータによると、中国・深センのワーカーの賃金は月額約204ドル。そして今回新たに登場したバングラデッシュ・ダッカのワーカーの賃金は月額約57ドルです*1。57ドル。人間一人を一カ月働かせて日本円で5000円6000円って話ですよ。今や、ジーンズを縫製する仕事は中国の月額2万円でさえ割高だと判断され、もっと安い賃金を求めて工場が移動しています。
日本の賃金を下げてでも製造業の流出を食い止めるべきと考える人でも、さすがに賃金を月5000円にしようとは思わないでしょう。従って、女工さんがミシンを操作してTシャツやジーンズを縫い上げる衣料品製造業は、(よほど高価なブランド品を作るのでない限り)もう日本でコスト競争に勝つこと=日本に工場を立地させることはできない訳です。

中国の低賃金と競合するのは一時的な過渡期で、いずれ中国の賃金は上昇して日本の賃金に近付いてくる、という希望的考え方は幻想だということもわかります。中国の賃金は近年毎年10%以上という猛烈なスピードで上昇しています。今後もずーっと毎年10%以上上がり続ければ、20年程度で日本人ワーカーと同水準になりますが、(それにしたって20年後ですが)その頃には衣料品製造業だけでなく、金属部品加工業や樹脂製品製造業や電子部品製造業も、より安い賃金を求めて中国からベトナムへ、カンボジアへ、バングラデッシュへと移動している事でしょう。賃金水準とその国の労働者で対応可能な技術水準を睨みながら、最初は衣料品製造業と言った超ローテク産業がバングラデッシュへ移動し、後は産業発展の段階に従って少しづつ難易度の高い産業が順に移動していく形。階段の一番高い段に米が立っていて、一段下に日本、以下の段は順に韓・中・ベトナムカンボジアバングラデッシュが立っていて、ハンドリレーする要領で上から下に向けて工場が順番にパスされていく感じです。
「過渡期」の先にあるのは、賃金水準が収斂して工場が日本に戻ってくる時代ではなく、もっと安い賃金を求めて工場がどんどん遠くに離れていく姿です。バングラデッシュに電子部品工場が出来るころ、ジーンズは聞いたこともないアフリカのどこかで作られているのかもしれません。

1955年(昭和30年)に日本から米国へ一着1ドル未満と言う格安衣料品が大量に流れ込んで米国の衣料品産業を直撃。「ワンダーブラウス事件」と呼ばれる日米初の貿易摩擦問題に発展し、日本が対米輸出自主規制を行っています。その後日米貿易摩擦は、50年代の繊維から、60年代は鉄鋼、70年代は家電製品へ、より高度な製造業へと戦場を移しながら何度も対立を繰り返しました。
あの頃の日本人は、なんていうか「前向き」でした。日本製品が世界を席巻しているのは決して日本人の賃金が欧米に比べて安いからなんかでなく、努力して安くて良い製品を作っているからだ。日本に負けて米国が製造業を失っているのは彼らが努力していないからだと無邪気に信じてましたから。
歴史は繰り返し、今度は日本が攻め込まれる番です。バングラデッシュ人に向かって月5000円で働くのはズルイと言っても始まりません。なにせ、月5000円でも現地の貧農の収入よりはずっと高賃金なのですから、貧農の子供たちは競って都市部の工場に働きに出ます。戦後の日本で地方の寒村から太平洋ベルト工業地帯の都市へ「集団就職」が行われていたことの再現です。

製造業を引きとめるために賃金を下げてコスト競争を行うのは、終わりのない賃金引き下げ競争に入ることであり、しかも勝ち目はないのではないかと思います。日本も貿易財製造以外に新しい産業と雇用を探し求めなければならないと思います。


で、ドンキホーテの「情熱価格」690円ジーンズはどこで作っているのかな?。