水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

地方分権が生みだす地方格差のメリット

日本人は「平等」が大好きです。平等が好きなら、地方分権よりも中央集権の方が合っていると言えます。

経済的に困っている家庭の小中学生を対象にした、自治体の「就学援助」の制度が細っている。(中略)
国はもともと、就学援助について半分を補助していたが、小泉政権の「三位一体改革」の中で、地方に財源移譲する形で05年度に補助金を廃止。就学援助に使う「縛り」がなくなったため、折からの財政難と相まって、自治体にはできるだけ支出を絞ろうという動きがうかがえる。(中略)
対象とする収入の基準を生活保護基準の「1.5倍未満」から「1.3倍未満」に見直した埼玉県鳩ケ谷市では、04年度には21.3%だった受給率が(中略)08年度は15.8%まで下がった。(中略)
新潟市では支給額そのものを引き下げた。(中略)削減前の小学生の平均支給額は1人6万8千円だが、この見直しで1万7千円にまで減った。

http://www.asahi.com/national/update/0905/TKY200909050099.html

中央集権は平等の押しつけであり、どんな制度をどう運用するかが国の決定で全国一律になります。他方、地方分権は記事にもある通り「縛り」がなくなるので予算をどこに使うかは地方の決定次第となり、平等は失われてバラツキが生まれます。記事の例でいえば、従来全国一律だった就学援助が、分権の結果どの町に住んでいるかによって違いが生じている訳です。
これから始まる新型インフルエンザワクチンの接種を見ると、
甲賀市がワクチン接種費用助成 新型インフル、優先対象者に1000円
新型インフルエンザ:妊婦などにワクチン接種を全額助成−港区/東京
公的助成なしの自治体、一部助成、全額助成の自治体と格差があります。予算と権限が地方に移れば移るほど裁量の余地が拡大し、様々な政策・施策を通じて、生活のあらゆる面でこうした格差が発生することになります。

では、地方分権なんてやめて中央集権を続ける方がいいのでしょうか?。私はそうは思いません。むしろ分権を進めて格差が出る方が良いと考えています。それは地域ごとに違いがある方が、人々が比較して、考えて、政策について意見できるようになると思うからです。
先のインフルエンザワクチン接種の例でいえば、国が「ワクチンは全国一律6150円」と宣言すれば、これはまさしく「平等」です。でも自治体が独自の助成を打ち出せば、助成のない市町村の住民も彼我の差を見て「わが町でも助成すべきだ」と意見することができます。「そんな金はない」と役場が抗弁しても「東京都港区と差があるのは仕方ないにしても、甲賀市が1000円出せるならウチでもその程度できるはずだ。金がないと言うなら、『○○市生涯学習センター』建設などという無意味なハコモノ予算削ってワクチンに回せ。」といった政策論も可能になります。
つまり、格差が競争のきっかけとなると思うのです。スーパーだって近くにライバル店があれば価格競争・サービス競争は激しくなり、駅前に店が一軒しかなければ独占的地位が生まれて価格も割高になりサービスも悪化しがちです。中央集権の「平等」は競争なき悪平等であり、選択や比較の余地がない「唯一の劣悪なサービス」の押しつけになりがちです。分権の結果様々な政策に格差が出れば出るほど、人々は予算の使い方について考えるようになれると思うのです。

地方分権が進めば、新型インフルエンザワクチン助成といった単発の小ネタでなく、最初に挙げた「就学援助」のような定常的施策についても広範で大掛かりな差異が生じるでしょう。A地域では、獲得した予算が惜しみなくダムや道路に注ぎ込まれて教育や福祉の予算がどんどん削られるかもしれません。B地域では、子育てや教育に手厚い予算が組まれるかも知れません。5年10年経てば、どちらの政策が優れているか結果が見えると思います。
B地域では保育所を増やしたり乳幼児の医療補助を増やした結果、出生率が上昇したり若い夫婦が引っ越してきて人口が増加するかもしれません。1クラス25人制や補助担任制を取り入れた結果、落ちこぼれが減って全国学力テストの順位が上がるかもしれません。低所得層への高校奨学金を創設した結果、高校中退率の低下や就職率の向上があるかもしれません。
A地域では、低所得者層が子どもの病状が悪化しないと病院に連れてこない為に乳幼児死亡率が上がるかもしれません。学校は荒廃して、校内暴力で校舎のガラスはボロボロかもしれません。B地域では既に「絶滅危惧種」と言われている「暴走族」が大流行しているかもしれません。立派な道路が至る所にあるので、暴走族にとっては楽しい街かもしれません。

A地域の住民は悲惨な目にあいますが、それは地域の首長・議会選挙を通じてA地域の住民が自ら選んだ道なので、そこは自業自得といえます。また、全国の人々はA地域・B地域・その他全国各地の政策を見比べて、わが町の政策をどうすべきか考えることができます。
従来、「フィンランドではこんな政策が」とか「ドイツでは」「ニュージーランドでは」といった比較が行われても、「税制が全然違うから」「小さな国ならできるだろうが日本では」といった言い訳がされてしまいました。でも「隣町(県)で出来るのに何故わが町(県)ではできないのか」となれば言い訳は難しく、住民は選挙を通じて政策・施策を変えていけます。
競争を通じて、押しつけられる固定的な悪平等から脱出できる。格差が生じるものの、その違いを見比べて人々は政策を良い方に合わせていける。全体が良い政策を選んでいけば、結果的に平均値が向上していくと思うのです。


ただ競争原理が働くためには、住民が地域の政治を監視できる情報が必要です。→地方分権で霞が関は限りなく増殖するか - mizuiro_ahiruの日記