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水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

地方分権で霞が関は限りなく増殖するか

和歌山県の仁坂知事は、前原国土交通相と会談。阪和自動車道御坊−南紀田辺インターチェンジ間4車線化工事の早期実施を求めた。
群馬県議会の原議長らは、八ツ場ダム本体の建設中止の撤回を求める意見書を前原国土交通相に提出した。
前原国土交通相が川辺川ダムの建設中止を明言したことを受け、熊本県五木村の和田村長は国交省を訪れ中止表明に抗議する文書を提出した。
道路もダムも、予算削減や中止の話が出ると地元の首長や議会が必死に反対し、事業継続を図ろうとします。理由は簡単、「国会の族議員霞が関−業界」という利権トライアングルの相似形が「自治体の政治家−自治体の役所−業界」で、そこにも利権があるということ。
今でさえこの有様なのですから、「東京の霞が関よりも、地方自治体の方が地元のニーズを正しく理解している」という美名のもと分権を進めて予算と事業の決定権を地方に与えれば、地方の利権トライアングルは肥大化。日本中に都道府県の数だけ県会族議員霞が関県庁を生み出し、無数の市町村に無数のプチ族議員とプチ霞が関を生み出すことになってしまいます。
予算分配を地元で行っても、地元のシングルマザーのニーズと地元の土建業者のニーズ、どちらが無視されどちらに金が注がれるかは結局今と変わらないでしょう。

私は、自分が住んでいる県や市でどんな政策が行われ、どんな事業に金が注ぎ込まれているのか余り知りません。国政選挙は多分毎回投票していますが、県議会や市長選挙はほとんど投票したことがありません。だって、どの候補者がどんな政策を主張しているのかロクに知らないから。
私と似たような人も多いのではないでしょうか。でも、地方分権が進んだ場合それは非常に危険な事になります。予算と権限を渡したのに、何してるか知らない、首長・議員の善し悪しもわからない、投票もしないでは、連中は「やりたい放題」になってしまいます。利権政治の発生源が国から地方に移るだけで今と変わらないどころか悪化しかねません。


じゃあ地方分権なんてやめて中央集権のままにしておく方が良いのか?、と言われれば、そうではなくやはり分権すべきだと思います。だって「地方自治体の方が地元のニーズを正しく理解している」から、正しく機能すれば地方分権は今より良い政治になる「はず」なのです。
結局、「正しい政治」は「楽な政治」とは違う、と言うことだと思います。
地方自治体に予算と権限を与えて、それが正しく使われるためには「人々が国政に関心を持ち、政策を批判したり評価し、世論を形成し、選挙で意思を表明する」のと同程度の関心・知識・行動を、地方議会や役所に対しても行わなければならなくなる、つまり今後は「地方政治も国政並みに監視する」と言う追加負担を背負わないといけない訳です。面倒くせーーー。

でも、住民が地方自治について国政と同程度の監視をするためには、現状はあまりに情報不足です。問題の一つは、新聞もテレビも、日本のマスコミが圧倒的に「東京発」と言う事ではないでしょうか。
朝日・読売といった全国紙を開いても殆どのページは全国同一の記事で、後ろの方に申し訳程度に1〜2頁の地方面があるばかり。地方紙は記事比率はマシなんでしょうが購読者数が少ないのが欠点です。テレビの報道番組もほぼ東京キー局の制作で、地方局で作っているのは夕方のニュース番組程度。放送内容は、地元の火事と交通事故と新型インフルエンザの流行情報と秋祭りのレポートだったりします。
この状態のまま地方分権すると、私たちは必要な情報を得るすべがなく「巨大な利権+NO監視状態」→「やりたい放題」必至の気がします。


んー、どうしたらいいのでしょう?。朝日や読売が地方面の頁を大幅に増やしてくれるでしょうか?。アメリカではシカゴ・トリビューンボストン・グローブといった有力地方紙があるように、日本人も朝日を捨てて地方紙を読むべきでしょうか?。今まで「振り込め詐欺にご注意」や「県展のご案内」「こども神輿パレード中継」をしていた地方局が、県庁や市役所に鋭く切り込めるでしょうか?。
「中央集権だから情報も東京発」だった構造を、分権に即して変化させられるのか、それとも「日本中に霞が関が増殖」する結果になるのか。不安です。