水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

容疑者実名報道の後ろめたさ

一か月以上も前に報道されたことを今さらなのですが、この話を読み返すと、なんというか夏休みの宿題がまだ残っている小学三年生のようなザワザワした気分になるので、取り上げてみます。(以下枠内は引用)

韓国政府は14日の閣議で、連続殺人や児童に対する性犯罪など凶悪犯罪の容疑者について、捜査機関が名前や年齢、顔写真を公開できるよう、法律の一部を改正することを決めた。

http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009071401000574.html

読み間違えないでくださいね。今後「公開できるよう」に改正する、ということなので、今までは非公開だったのです。

目から鱗と言うか、無罪推定の原則を考えれば、容疑者の時点では写真も氏名も非公開と言うのが当然という気もします。韓国が今それを改めるのは「知る権利」や「犯罪予防効果を高めるため」という理由だそうです。


日本では以前から写真も氏名も公開するのが当たり前になっています。どうしてでしょう?。

その根拠として日本でも韓国同様「知る権利」「犯罪予防効果」が上げられると思います。でもそれは、あくまで容疑者=真犯人だった場合のみ成立することです。真犯人ではない人の情報を知らされても意味はないですし、犯罪を予防するために無実の人を晒しものにするというのも筋が通りません。容疑者の時点で公開する理由にはならないように思えます。

公開する根底にあるものは、「警察が犯人だって言うんだから、あいつが犯人で間違いないだろう」という人々のいい加減な決めつけがあるように思えます。
もっと本音を言えば、「犯人で間違いないと思いたい」のかも知れません。誰かをよってたかって罵倒し吊るし上げるのは庶民のストレス発散のはけ口であり、犯罪者は、向こうから反論されることのない、吊るし上げることが正当化できる恰好の標的なのだろうとも思います。(夕方のニュースなんかで、いまだに延々と時間使って酒井法子報道が行われているのを見ると、つくづくそう思います。他に報道することないのか?と。)

志布志事件や繰り返し発生している痴漢冤罪事件を見れば警察の捜査が杜撰なことは明らかですし、仮に警察が真摯に捜査していても100%無謬ということはあり得ません。
それでも実名報道をやめないのは、容疑者10人中9人くらいは当たっていそうだから、最後の一人が無実の罪で見世物になって人生ぶち壊されても、まぁいいんじゃない、といった残酷な感情。おいしいネタがあるのに、裁判で有罪判決が出るまで待ってられない。早く名前と顔を出せ!、ということでしょう。
公園の池を覗きこんだら、エサを貰えると思ったコイの大群が殺気立った勢いで集まってくるような光景が目に浮かびます。


当然のごとく行われている容疑者の実名報道が果たして正しい事なのかという気がしてきます。


じゃあ、どうすればいいのだろう…と考えます。韓国は、一律に公開するのではなく、

条件として「容疑者の自白や、罪を犯したとする十分な証拠」があることなどを挙げている。

としています。なるほどねー。

でも、自白したら実名報道されるとなると「報道されるの嫌だし家族にも迷惑かかるから、じゃあ否認する」ということにもなりかねません。

「十分な証拠」については、十分か否か、実名出すか否かを誰が決めるのでしょう?。
警察からすれば「当然どの事件も十分証拠あるから逮捕してるんだよ」って事になるでしょう。マスコミ側が証拠の十分・不十分を独自に評価するというのは机上の論としては面白いですが、実際はどこか一社が実名出せば、そちらの方が視聴率・部数が上がるので結局全社が公開と言う「悪貨が良貨を駆逐する」ドツボにハマるのが見えます。


ただ犯罪報道全般に強く感じるの事は、世間が残酷なだけでなく、マスコミも強く警察サイドに偏り警察の広報と化していることです。

「自宅からアダルトDVDが見つかった」だの(AVなんて男なら誰でも家にあるだろう)、「夜間や早朝に近所でたびたび目撃されている」とか(それって、ジョギングしてたとかではないの?)、実は犯人である証拠では全くない話がいかにも犯人であることを示唆するがごとく、容疑者が真犯人だろうという決めつけが世間的に既成事実化されるように、警察に都合よく流されています。
実名報道自体も「容疑者を特定しました。コイツです。」という警察側の言い分を流している訳で、それに対し「容疑者は否認している」という主張は、最後に一言触れられるだけです。

結果的に不起訴等になっても、その話はひっそりと紙面の片隅で、あるいは番組内でさらっと一言触れられるだけで、逮捕された時の報道量とは雲泥の差があります。

考えてみれば、この扱いの差は不思議です。例えば「ストーカー被害を訴えていたのに何も対策取らず深刻な事件になった」とか「犯人を取り逃がした」といった「警察の落ち度」があると、マスコミはこれを大々的に報じます。もしマスコミが中立的に動いているなら「不起訴」だった場合も、それらと同じくらい大々的に報じているはずだと思います。

それをしない、出来ないのは、容疑者の段階で完全に真犯人扱いして、散々警察の尻馬に乗って一方的な報道をしてきた「後ろめたさ」がマスコミにあるからなのだと思います。
「実は犯人じゃなかったです」と報道することが、警察の誤りを報道しているというより、自分たちの誤りを報道するようなものだから、しゅるしゅると扱いが小さくなるのです。
視聴者・読者も、あれだけ犯人扱いして騒いだのに、今さら間違いでしたという報道を見たくない・読みたくないのかもしれません。


再び韓国の例をみると、公開するのはあくまで

連続殺人や児童に対する性犯罪など凶悪犯罪の容疑者について
犯行手段が残忍で被害が重大な場合

に限られ、全ての犯罪ではないそうです。

私も、こうした線引きに賛成です。「無罪推定の原則」をもう一度、報道についても考えるべきだと思います。
痴漢とか、窃盗とか、援助交際(児童買春)とかは、一審で有罪判決が出てからの実名報道で十分ではないでしょうか?。


え?、裁判も信じられないって?。うーん…