水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

プルタブ集めを止める方法とその限界

らくからちゃ氏のblog「ゆとりずむ」のエントリーが話題になっています。

www.yutorism.jp

面白いので全文を(後で)読んでいただきたいのですが、雑に要約するとこうなります。

学校でアルミ缶のプルタブ集めが今も行われている。
かつて、プルタブは缶本体から外れる構造でポイ捨てされて危険だった。ので、その収集に意味があった。
今、外れないプルタブを集めるため、故意に缶から引きちぎるようなことが行われており、馬鹿げている。
しかし学校では「コツコツ努力を積み重ねることに教育的意義がある」として続けられている。

これに、らくからちゃ氏は

これは駄目なんじゃないのかなあ(´・ω・`)
『目的は何なのか?それを達成するための手段として、何をするのがベストか?』を考えない・考えさせない・必要な知識を与えないのは、もっとずっと恐ろしいことのように感じます。

と書かれています。まったく同感です。

その一方で、一般論として学校にはプルタブ集め的なことをせざるを得ない事情が二つあると思います。

プルタブ集め、ペットボトルのキャップ集め、ベルマーク

一つは、親の価値観にバラツキがあることです。

一部の親はプロビジネス=経済活動重視派です。こうした人たちはチャリティやボランティア活動であっても、アイデア出して目標金額をいかに効率よく、楽に、早く達成するかが重要です。近道を探せ派です。しかし、おそらく少数派ではないでしょうか? 一方にアンチビジネスな親も大勢いて、楽して金を稼ぐのは悪と考えています。金が儲かることすなわちズルいことと考える人もいます。この派閥の人たちにとって重要なのは「お金を稼ぐことが、いかに大変で苦労が多く地道な努力を要するかを子供に知らしめる」ことです。社会に近道などない、が教義であり、どれだけ努力しても微々たる金額にしかならないプルタブ集めのような不毛な活動の方が、「むしろ正しい」のです。子供に金儲けができてしまっては困りますし、倫理に反します。

教師はプロ親とアンチ親の板挟みにあります。もし、アイデア商売で一気に10万稼ぐなどと言うプランを出せば、猛烈な批判を展開する親がいます。教育委員会に苦情などされれば人生が狂います。だからそんなこと怖くてできません。余計な取り組みはトラブルを生むだけです。

もう一つは、教師が過酷な労働環境にあるという事です。
舞田敏彦氏のblog、「データえっせい」のエントリー「教員の勤務時間の国際比較」から、グラフを引用します。

tmaita77.blogspot.jp

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日本の教員は右下に赤点があります。これは、授業に費やした時間は平均以下だが、それ以外の雑用が多くて総勤務時間は(アメリカとともに)先進国最悪、という図です。
もう一つ同じサイトから、「日本の教員勤務の特異性」のグラフを引用します。

tmaita77.blogspot.jp

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中学校教員が(特に若手が)異常と言っていいほど部活に労働時間をかけていることがわかります。
先日は電通社員の過労自殺が問題となりましたが、教師もまた、過労による休職や離職や自殺が問題となっています。

news.livedoor.com

こんな死にかけの教師に、更にこの上、慈善団体への寄付金を稼ぐ生徒の活動の指導・監督業務をしろと、あなた言えますか? シンプルな例として、生徒が来月末の土日にどこかでバザーみたいなことをするとして、どういうプランを立てるのか指導し、本番までの期間に生徒が放課後15時以降にする準備活動に必要時は同行し、バザー当日の土日の活動を監督しろとか言い出したら、先生、死んじゃいます。マジで。

それに引きかえ、教室の隅に袋を置いてそこにじわじわプルタブを貯めていく。で一年経ったら袋を持ち上げて「みんなの努力でたくさん集まったね」って言って終わる。負荷のかかる作業を何もせず、一年間継続できて、意味はないが「なにかやっている風」であり、取り組み内容が(袋の中の増えていくプルタブとして)可視化されている。ヒステリックな親に攻撃されることもない。穏やかで実にバランスがいい。

親同様、教師の価値観にもバラツキがあります。アンチビジネスな教師もいて、そういう人は本気でプルタブ集めが生徒の心の教育に役立つと思ってやっているでしょう。他方、プロビジネスな教師もいるでしょうが、この人たちに何ができるでしょう。他のクラスがプルタブ集めやっている時に、全く違う活動ができるでしょうか。異質な活動、目立つことをしてアンチビジネスな親からクレームをつけられたくなければ、余計な仕事を増やして過労死したくなければ、そこはもう、右へ倣えでプルタブ集めするしかありません。
だから結局どのクラスも学年も、プルタブ集めとか、似た話でペットボトルのキャップ集めるとかベルマークとかその辺に収斂して落ち着くのです。重力の底のような場所です。

解決策とその限界

では、どうすればいいか?
教師の職務を抜本的に見直し、今の半分くらいに減らして空いた時間でボランティア活動指導するという手もあります。が、職務の棚卸なんて不可能でしょう。
もう一つの解決策は、ボランティア活動を学校から切り離すことです。親が指導・監督すればいい。プロビジネスな家庭だけでグループを作り、その子供たちだけでアイデア重視、効率重視、楽して金儲け大歓迎のプランを立てるのです。アンチビジネスな家庭はグループに入れなければ文句言われる筋合いもありません。あっち行け、シッシです。

まるっきり子供たちだけで自由にさせる訳にはいかないでしょう。純粋に金儲けの効率だけ考えるなら、例えばメンバーの一人である女子生徒が教室で着替えている様子を、体操服とかスクール水着とか制服に、とかを隠し撮り風に顔を写さず撮影して、それをネットで売れば金なんざガンガン稼げるかもしれません。男子生徒の着替え映像だって、一層高値がつくかも知れませんし、何なら目標額達成した時点で買い手の情報を警察に売れば、社会貢献度は二倍に跳ね上がります。が、さすがにプロビジネスな親でも、それはちょっと待て、となるでしょう。
プロビジネスなりに妥当な、正しい活動を実現するため、また子供たちがトラブルに巻き込まれないよう、教師に代わって親による指導監督が必要です。
ここで問題が発生します。実は、親も社畜だってことです。毎日帰ってくるのは深夜です。平日、放課後の15時以降に何か準備活動があるとして、その日有給か半日有給とって子供たちに付き合えますか? 夕方から子供戦略会議を開くとして、定時で上がって会議に参加できますか? 夏休みに集中活動するとして、その期間に会社を休めますか?

できないなら教師と同じです。時間と労力をそこに投入できないなら、定時で帰ることも有給取得も夢のまた夢で、子供たちに付き合う余裕がないなら、あきらめてプルタブでも集めてろよっていう話になります。それが日本社会の限界でしょう。
教師も親も社畜の生活で、その子供も次世代の社畜になるのなら、余計なことは教えずにいた方が幸せかもしれません。

真面目に言えば「将を射んと欲すればまず馬を射よ」。親の世代が社畜を脱さないと、子供世代の救出は難しいよと思います。