水色あひるblog

はてなダイアリー 「mizuiro_ahiruの日記」 から引っ越しました。

当たりハズレのない世界へ

車の自動運転が実用化されれば交通事故は減ると予想されます。人が運転しないと事故が減るのはバラツキが減るためです。金と時間を費やして教習所に通って免許を取っても、人の技量には差があります。運転が上手い人慎重な人、下手な人乱暴な人。下手で乱暴な人が事故を起こし、自分だけでなく他の人をも巻き添えにします。
リスクを減らす、とは結果のバラツキを減らすことです。自動化は運転の当たりハズレをなくし、暴走車にひき殺される不運がなくなるのです。素晴らしい。

 

人のバラツキが不運を作る

世の中から当たりハズレをなくす努力は各所で行われてきました。
予備校は、かつては教室が100あれば講師が100人いましたが、下手な講師に当たった生徒は損。なので今は、一番優秀な講師の授業を各教室に配信します。ファミレスもセンターキッチンで料理を作ることでシェフの腕の差による当たりハズレをなくしました。ただ、今でも稀にチンする時間の不足なのか中が冷たい料理が出てきたりします。それは、チンする作業をバラツキのある人間が操作しているためで、これも自動化すればハズレはなくなります。

人のバラツキが不運を生み出す元凶になっており、A.I.等の導入でプロセスから人間を減らす、そしてゼロにすることで世界から当たりハズレがなくなります。

プロセスに人間が存在する最も有害な事例は、医療。つまり人の医師ではないかと思います。当たりハズレが直接命にかかわるためです。
6年も大学に通って医師免許を取得しても、その知識技量には格差があります。運良く有能な医師に当たれば正しい病名が診断され、最新の研究や知見に基づく治療が行われ、早期に病気は治ります。他方で不運にもハズレの医師を引くと、とんちんかんな診断が下され、時代遅れでエビデンスに欠ける治療を受けさせられ、病気は一向に治らず悪化し、時に死に至ります。

 

医者よりグーグル先生

少し前に、珍しい病気でA.I.が正しい診断を下したというニュースがありました。

www.jiji.com

記事を一部引用すると、

  東京大医科学研究所が臨床研究を進める医学論文2000万件以上を学習した人工知能(AI)が、医師の診断では分からなかった白血病患者の病名を突き止め、治療方法を変えた結果、容体が回復していたことが分かった。
(中略)
 60代の女性患者は昨年1月、医師から「急性骨髄性白血病」と診断され、同研究所付属病院に入院。抗がん剤治療などを続けていたが、体の免疫機能を担う白血球の数が回復せず、感染症で40度の高熱を出すなど生命の危険もあった。
 同研究所が病名が異なる可能性もあるとして、女性の約1500カ所の遺伝子変異のデータをワトソンに分析させたところ、わずか10分で原因となる部分を特定し、有効な抗がん剤も提案。「二次性白血病」であることが判明し、治療方法を変えたところ、容体が回復に向かった。

これも印象的な話ですが、私は以前に読んだ、プラネタリウムクリエイター・大平貴之氏のtweetを印象深く憶えています。それはtogetterにまとめられています。

togetter.com

面白いので全体を(後で)読んでいただきたいのですが、必要な箇所を抜き出して貼ります。

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特に重要だと思うのが「そこでネットで調べ、胃炎や食道炎以外に、アニサキス症の可能性に気づく」この一文。大平氏がググったらアニサキスの可能性を示す情報が表示されたという事です。
ここから得られる教訓は、2014年時点で既にプロの医者よりグーグル先生の方があてになる場合があるという事です。先の新聞記事で紹介したような「二次性白血病」という難病ではなく、ただのアニサキス。「医学論文2000万件」やら「AI」云々以前のレベルで、金を払う医者より無料のネットが正しい。問題の根にあるのは総合病院と町医者のバラツキであり、バラツキの原因は「だって、人間だもの。みつを」です。
念のために、このエピソードから人間の医師の悪口を言っているは私・水色あひるであって、大平氏がそうした論を述べているのではありませんのでご注意を。大平氏は紳士的に内科医の立場を擁護されています。曰く「内科医2軒では寄生虫の可能性は見過ごされたが、受診待ちの患者があふれていて、そこまで丁寧な診察ができなかったのかもしれない」 私から見れば、人間が診察するから人数に不足が生じて病院が混むのであって、もしSiriのような存在が診断してくれるなら一人ずつに専属の医者がいるのと同じで「混む」という概念がありません。
バラツキによる運・不運はなくすためにも、混むという不便をなくすためにも、診断から人間が排除される時代の到来が待たれます。

 

裁判はなぜ存在するのか?

もちろん医師だけでなく、同じことは他の職業にも言えます。運良く腕のいい弁護士に出会えたから裁判に勝てた。担当の裁判官がたまたまリベラルな思想もしくは保守的な思想だったから、判決がああなったこうなった。無能な税理士だったから使えるはずの節税制度を見逃し、必要以上の税を取られた。
こうした現象はみな人間の排除でなくなり、人は、良い医者や弁護士や税理士を探すという無駄な時間や費用やバラツキへの不安から解放されます。素晴らしい。

先日も酷い判決がありました。

www.buzzfeed.com

昨年12月、最高裁夫婦別姓制度を認めない判決を出しています。その理由は「旧姓を通称としての使用が広まることで、不利益は一定程度緩和される」から。にもかかわらず、先日の東京地裁の判決は「職場で戸籍上の氏名の使用を求めることには合理性、必要性がある」として原告が求めていた旧姓の使用を却下。最高裁は旧姓を使えと言い、地裁は使うなと言う。どうでしょうかこの矛盾。こんな矛盾が生じるのは、バラツキのある人間がそれぞれ勝手に判決を出しているからです。A.I.が裁判官をすれば、一貫した判断が出されるはずで、人は邪魔です。
法律は固定されているのに「裁判はしてみなければ結果はわからない」という事自体、そこに介入している人間にバラツキがあるのが原因であり、考えてみれば酷い話です。将来的には双方の言い分を弁護士A.I.に入力して照合すればその時点で判決が分かるので、裁判なんて不要です。

学校教師も同様です。予備校の事例を書きましたが、配信授業というシステムは予備校だけでなくすべての学校で導入されるべきです。例えば分数の割り算は小学校算数の難関ですが、ここで運悪く説明が下手な教師に当たったせいで理解できずつまずき、そこから落ちこぼれて人生全体に影響しいている人が大勢いると思います。日本一わかりやすい先生の授業を全国の小学5年生が聞ければ、ドロップアウトは大幅に減るはず。中学高校の物理や世界史も、腕のいい先生に当たれば面白く興味を引かれて、そこからキャリアの展望が開かれることもあれば、ひたすら退屈で授業中寝てばかりで、あったはずの未来を失った人も多いはず。

学級を運営するために生身の人間が教室に必要だとしても、スクリーンの中で授業をする教師が同一人物である必要はありません。当面、スクリーンの中の教師は教え方が上手い人間ですが、これもやがてはA.I.につながったCGの講師になるはずです。

プロセスから人間を減らす、できれば排除しゼロにすることが望まれる職業は多岐にわたりそうです。
それが実現すれば、人生から運・不運がなくなります。こうなったのは誰かのせいだと恨んだり、不運に苦しむことがなくなります。実に素晴らしい。
でも、本当に素晴らしいだけでしょうか?

 

ハズレを排除する弊害

人生から当たりハズレをなくす弊害として、人が不寛容になることが予想されます。
自分が人生でつまずいたのは、えこひいきする、教え方が下手くそなクソ教師のせいだと言えなくなります。全生徒が同一の最高の授業を受けているのだから。
世の中から不運やハズレをなくすと、残っているのはその人の才能と努力だけになり、言い訳は認められず、人生の結果はすべて自己責任だと言われるようになりそうです。

既にそうした傾向は見られます。電車がわずか10分遅れただけで激昂し駅員に暴力を振るう人が出るのは、鉄道会社が努力して運行を正確にした弊害といえます。バラツキがなくなるほど、人は些細なハズレに不寛容になってしまいます。
保育園がうるさいと言われるのもハズレ忌避の先鋭化です。最近は、学校の部活がうるさいから黙れと言われるそうで、

www.j-cast.com

まぁ野球部サッカー部あたりはその気になれば黙って練習できなくもないでしょうが、合唱部やブラバンはどうすればいいのか悩みます。

技術的に可能な限り社会から当たりハズレを排除しつつ、それでも人生にはバラツキがあるんだよ、運も不運もあるんだよ、あるに決まってるじゃん。という寛容さを併せ持つ社会、というのは実現が困難なのでしょうか。